旅する
海から山、また海へ|南伊豆トレイルで感じる絶景のリズム
伊豆半島の南端、南伊豆にあるのは、海と山を繰り返し歩く、異国感漂うトレイル。これを「伊豆トロピカルトレイル」と呼ぶのは、米国3大トレイルを踏破し、現在は西伊豆に暮らすハイカーの河戸良佑さん。国内外で歩く旅を続けてきた河戸さんはなぜ、伊豆のトレイルに魅了されているのか。その答えを紐解くべく、日帰りの旅にでかけた。
目次
伊豆トロピカルトレイル【1dayハイク】
【著者プロフィール】
河戸 良佑(かわと りょうすけ)
兵庫県出身、西伊豆在住、アパレルブランド「HIEKR TRASH」ディレクター。20代からバックパッキングで世界を放浪、その際にネパールで長距離ハイキングを初体験。長い無職期間を経て2015年にアメリカのパシフィック・クレスト・トレイル(PCT、約4,260km)を踏破。ロングトレイルの魅力に取り憑かれ、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT、約5,000km)、アパラチアン・トレイル(AT、約3,500km)を歩き切り、アメリカ3大トレイルを制覇。ハイキングの際にスケッチブックを持ち歩いていたことから、トレイル上での呼び名は『スケッチ』。
南伊豆町・妻良からスタート
静岡県南伊豆町の妻良(めら)は、東京都心から車で約3時間半。沼津からは高速道路がなく、途中、天城峠の険しい道が蛇のように山間を伸びる。そんな道をはるばるやって来たYAMAP MAGAZINE編集部の石田さんと、カメラマンの宇佐美さんの少し疲れた顔を見て「遠路はるばるお疲れ様です」と自然と言葉が出た。
一方、僕の家は「伊豆トレイルジャーニー」(*1)のスタート地点としても有名な西伊豆・松崎町の近く。今回のハイキングのスタート地点である妻良の公会堂脇の駐車場からは車で35分ほどしか離れていない。それでも、伊豆特有の海岸線沿いの、細く険しい道の運転は僕を疲れさせた。
*1 伊豆半島の5市町を縦断する人気トレイルランニングレース。松崎町から修善寺まで約70kmを走る。
時刻は午前8時過ぎ。南伊豆の朝はまだ少し肌寒かったが、僕は半袖シャツにショートパンツ、そしてその上に薄手のフリースを羽織る。登山をする人ならば2月にしては薄着すぎると思うに違いない。
しかし、南伊豆は今この時間から急に目を覚ましたかのように、一気に南国めいてくるのを僕は知っていた。なんたって、緯度で考えると妻良の地点で伊豆大島よりも南に位置するのだ。そして、ここからさらに南下する旅に出ようとしている。だから、寒さに怯えるなんて全く必要ない。
手早く準備を終え、駐車場のすぐ近くの民家脇の登山口から歩き始める。
最初の舗装された道を黙々と歩き高度を上げていく。自分の体調と会話するようにゆっくりと歩いた。どうやら体調に問題はなく、今日もいつも通りの楽しい1日を過ごせそうだ。
トレイルの頭上を覆う木々の隙間から、すでに力強い日の光が降り注いでいた。気が付けば、舗装路は終わり林道に変わっている。
秘境ビーチ・北谷川浜を経て吉田へ
40分ほどで登りが終わり、なだらかなトレイルになった。その脇に立てられた木造の道標には、今から向かう吉田の港までの距離は2.7kmと書いてある。その方面のトレイルを見ると、急な下り坂がずっと先まで続いていた。
伊豆の海岸線沿いのトレイルはまるでジェットコースターのようだと、僕は感じることがある。海から一気に高い位置に登ったかと思うと、今度はまたすぐに海に向かってくだっていく。大きなアップダウンの連続がずっと続き、ハイカーを休ませてくれない。
しかし、そんな忙しいトレイルだが僕はとても好きだ。ひとつの山を越えるごとに美しい景色が現れ、そして気温や植生が移ろっていくからだ。
次第に山の谷間から透き通った青い海が見えてきた。少しトレイルから離れるが、海をもっと近くで見たくて秘境ビーチの趣ある北谷川浜まで降りてみる。あまり人が降りないのだろうか、これまで歩いてきた整備されたトレイルと違い、背を覆うほどの草が生い茂っている。
僕らは両手で藪をかき分けながら進む。浜に近づくと小石がコロコロと波に揉まれて小気味よい音を奏でていた。
少し沖の方を見ると海底に所々沈む岩礁が青のキャンバスに複雑なコントラストをつけている。
釣り好きな僕はじっと目を凝らして、魚影を探すが見つけることはできなかった。しかし、その豊かな地形の奥で様々な生物の楽園が存在することは想像に難くない。次来るときは釣り竿を持ってこなくてはならないと強く思った。
浜を背にしてトレイルを見返すとまた急な登り始まっていた。そのずっと先には火山灰と土石流が固まったできた、爬虫類の皮膚のようなゴツゴツとした巨大な岩壁がいくつか茂みからこちらを見下ろしている。
岩壁にはところどころに奇妙な洞窟のような穴がいくつも空いていて、特に大きな岩はその陰影により肉食恐竜の頭のようで、それはまるで太古の地球の記憶を僕に見せつけているように思えた。
遥か彼方にあるように見えていた奇妙な岩壁だが、それは登り始めると案外近くにあった。遠く見えたのは不思議な威圧感に圧倒されてしまっていたからだろうか。
トレイルはその脇を通って続いている。岩壁に近づいてみるとゴツゴツして見えたのは、大小様々な石が埋め込まれた地層だった。手で触れてみるとどれも硬く固定されていて、半端な力で崩れることはなさそうだ。
おそらく海底火山の噴火の際に石を一緒にかき混ぜて固まったのだろう。その石の中から化石のような何か面白いものが混じってはいやしないかと顔を近づけてみたが、そんなに簡単に見つかるものではない。
もっと観察してみたかったがずっと留まるわけにもいかない。
「僕はハイカーだ。前に進まねばならぬ」
そう自分に言い聞かせその場を去った。
南国ジャングル風セクションで芽生える冒険心
ふと気がついた頃には、先ほどまでずっと傍に見えていた南伊豆の美しい海が高く伸びる木々によって見えなくなっていた。周囲にはつい先ほどまではあまり見なかったシダ系の植物が地面を覆い、頭上からは長い蔦がところどこに垂れ下がっている。まるで南国のジャングルだ。
気温が上がり植物たちが活発に活動し始めたからなのだろうか、このセクションからはトレイルが草木によって不明瞭になり始めた。しかし、この場所はかつては南伊豆の人々の生活路であったため、開けた方向に進んでいけば道に迷うことはまずない。
僕はそんなラフなトレイルから歩きやすいルートを探索しながら進むことに、冒険心をくすぐられて楽しくなってきていた。
シダを避けながら進み、時折発見する人が住んでいた痕跡に「かつてここで生活していたのはどんな人物だったのだろうか」と思いを馳せながら歩く。
登り終えると吉田の集落に続く下り坂が始まる。時折、頭上にポツポツと実っているミカンが鮮やかで美しく、僕の気持ちを楽しくさせた。
椿が作る自然の小さなトンネルを出ると、トレイルから舗装路にパッと切り替わり吉田に出た。売店はなく民宿がひとつだけある小さな町だ。南伊豆トレイルは町から町をつないでいるので、コンパクトながらも旅の情緒を感じることができる。
吉田で感じる神秘的雰囲気
起伏があるトレイルだったが、さほど疲れてはいない。それよりも早く次の景色を見たいという気持ちが強い。僕は菜の花畑を通り抜けたその時、驚いて思わず足を止めた。道の先には一本のビャクシンの大樹が聳えていた。高さ約10m、幹は約4mある。
大きさもさることながら僕を驚かせたのが、ビャクシンの枝がクネクネと渦を巻いて伸びていることだ。その姿は地表から噴き出た太古の生物が静止しているようでおどろおどろしい印象も受ける。
向かいには石の階段がありその先に白鳥神社の鳥居がある。境内のところどころにソテツやビャクシンが生えていて独特な雰囲気だ。この南国情緒漂う白鳥神社で、昔は漁業で栄えたこの地の漁師たちが大漁を願い、陸に残る者は彼らの安全を願ったのだろうか。
神秘的な雰囲気の白鳥神社に魅入られて、少しばかりのんびりとしてしまったので、足早に次のセクションに向けて移動する。少し歩くと海に出た。そこから海岸沿いに歩いて行くと、再び登りに入る。
次はどんな景色だろうかと胸が高鳴った。今回の旅の安全を願って参拝し、吉田を後にする。
吉田から富戸ノ浜へ
先程の樹林帯とは打って変わって、今度は笹が生い茂る斜面をトラバースするようになだらかな上り坂のトレイルだ。トレイルも綺麗に整備され幅もあるので、眼下に広がる海原を眺めながらのんびりと歩く。
海にぽつりぽつりと浮かぶ磯場には釣り人が2人ほど立ってる。時折、見える小型船は彼らを沖に渡しているのだろう。
木製の階段が続き、次第に勾配がきつくなってきた。振り返ると海はキラキラと宝石を散りばめたように輝いて、僕らが先程越えた山と吉田の集落が小さく見える。人は少し歩くだけでこんなにも進むことができるのだな、と山を登るたびに思うが、起伏の激しい南伊豆は景色が次々に変化するので、ほんの短時間でもそれを実感することができる。
吉田から40分ほど歩くと、富戸ノ浜に降りてきた。僕は波で洗われて丸くなった小石を踏みながら海岸沿いをのんびりと歩く。もうこの頃には、南伊豆の海から山、そしてまた海へ戻るの繰り返すリズムが僕の体に馴染んできていた。
富戸ノ浜の先にある絶景
富戸ノ浜から千畳敷までの最後の山に差し掛かる。海岸から一気に見晴らしいの良い斜面を短い草をサクサクと踏みしめながら登っていく。上り坂と日差しで暑くなった僕の体を海から吹く乾燥した風が冷やす。
黙々と30分ほど登ってほぼ頂上に差し掛かった時、南伊豆の海と山が一望できる開けた場所に出た。南伊豆の地形を改めて眺めると、海からは岩壁が飛び出していて、海沿いに急峻かつ複雑な地形が作られているようだ。
僕はずっと歩き続けてきたが、ここにきて初めてバックパックを地面に置いき、景色を眺めながら水を飲んだ。少しの間、頭を空にしてぼうっと立っていたが、まだこの美しい光景を消化しきれていないからだ。座ってもう少し眺めていることにした。
この場所が今日のハイキングで最も気持ち良く過ごせる場所だな、と僕は確信して、バックパックの中から食料袋からチョコバーを抜き出してゆっくりと食べる。急に空腹を感じて1本だけでは物足りず、加えて2本も食べてから、ハイキングに夢中になって朝から何も食べていなかったことに気がついた。
一息ついてから、小さな防水バッグから水彩絵の具とスケッチブックを取り出す。景色が綺麗で落ち着ける場所を見つけると、簡単なスケッチをするのが僕のハイキングの楽しみのひとつだ。ハイキング中にあまり時間をかけてもいけないので、ささっと簡単な線を描き、絵の具を何色か選ぶと色を落として30分ほどで描き終える。それから絵の具が乾くのを待ってからスケッチブックを閉じた。
再び歩き始めて頃には今回の旅に十二分に満足した心持ちだったが、ゴールまでにあとひとつ名所が残っていた。最後の山を越えた先にある千畳敷だ。
千畳敷へ続く道標は最終の町の入間に降りきる手前に現れた。僕らは道標が示す方向に従って海沿いの岩壁に造られた階段を降りる。短い距離だがかなり急で一気に海が足元に近づいてきた。降りきると今度は岩壁をトラバースするようにトレイルが伸びている。
切り立った崖の下の海の様子を眺めながら、ゆっくりと進む。トレイルが緩やかな弧を描いてるので、その先は岩肌に邪魔されて見ることができなかったが、進むにつれて千畳敷の全貌が露わになってきた。
「古代」感じる千畳敷の石切場跡
千畳敷はかつての石切場だ。岬があったであろうこの地は人の手で石を切り出され、今は広大なテラスになっている。現在は干潮時なので、今日の朝ごろはだいぶん海に沈んでいたのだろう。濡れた岩の上には緑の藻が生えていて、日の光でキラキラと輝いている。
ところどころ石切の際にできた人工的な窪みには海水が溜まり、僕がのぞき込むと小魚と蟹が急いで身を隠そうとした。
石切場の人工的な光景は、どこか古代遺跡の跡地に立っているようで、しかし、その横には自然の山が聳えており、その奇妙な差異が僕を少し混乱させて、心をざわつかせる。
千畳敷の先端まで歩き海を眺める、海面は目線からそれほど離れていない。ずっと青い海が続き、そして空に溶けている。
その光景をゆっくりと眺めた僕は今回のハイキングに深い充実を感じた。そろそろ僕らはゴールの入間を目指すことにした。
今回歩いたトレイル
コース情報
体力度:2(5段階中)
時間:5時間30分
距離:9.8km
累積標高差(登り):929m
累積標高差(下り):941m
モデルコースの詳細はこちら:伊豆トロピカルトレイル(1day)
写真撮影:宇佐美博之
イラスト:河戸 良佑
「HIKER TRASH」ディレクター
河戸 良佑(かわと りょうすけ)
兵庫県出身、西伊豆在住。アパレルブランド「HIKER TRASH」ディレクター。20代からバックパッキングで世界を放浪した際にネパールで長距離ハイキングを初体験。2015年にアメリカのパシフィック・クレスト・トレイル(PCT、約4,260km)を踏破。ロングトレイルの魅力に取り憑かれ、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT、約5,000km)、アパラチアン・トレイル(AT、約3,500km)を歩き切り、アメリカ3大トレイルを制覇。
公式SNSで山の情報を発信中
自然の中を歩く楽しさや安心して山で遊べるノウハウに関する記事・動画・音声などのコンテンツをお届けします。ぜひフォローしてください。