投稿日 2022.11.01 更新日 2024.06.14

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熊本・国見岳 遭難事故の記録|差し伸べ続けた救いの手

2022年8月、熊本県最高峰・八代市の国見岳(1,738m)で、熊本市に住む会社員の男性、森岡太一さん(38・仮名)が行方不明になり、入山から6日後に無事救助されました。

森岡さんは10日、友人2人と日帰りの予定で入山し、12時過ぎ、山頂に到着。お昼を食べ、その後「自分は(歩くペースが)遅いから先にいく」と告げ、登山口へと向かいました。友人2人が森岡さんを追うも、発見できず、警察に通報。

家族、親族、友人、捜索者、消防、警察、救助者、救護者、協力を呼びかけたひと、情報を提供したひと、無事を願ったひと、祈りを捧げたひと。

大勢の人々の行動と思いを受け継いで、いま、森岡さんは職場に復帰。日常を取り戻すべく闘っている。妻・莉菜さん(仮名)と、かけがえのない家族とともに。

山の事故、山岳遭難のリアルに迫る、特集・遭難ZERO。遭難救助事例や遭難者体験談をもとに、事故の舞台裏をお伝えします。今回の舞台は熊本県、国見岳。

遭難ZERO 〜登山遭難事故 救助事例・体験談〜 /シリーズ一覧

目次

8月10日、いつもの休日

ーーご主人が出かけていった日のことを、お聞かせいただけますか。

妻・莉菜さん(以下、敬称略):家を出ていったのは朝の4時くらいだったと後で知りました。もともと「山登りに行ってくる」とは聞いていましたが、私は寝ていて、出ていったことはわかりませんでした。起きたときには、あ、もう行ったんだと。いつもどおりの朝を過ごしていました。

主人からは「夕方くらいに帰る」「もしかしたら間に合わないかもしれない」とも聞いていました。その日は、上の子の習い事があって、お迎えをお願いしていました。

お迎えの時間に多少間に合わなかったとしても、6時くらいには帰ってくるだろう。もし遅れる連絡があったとしても、すぐ動けるようにしておこう。そして6時になり、何も連絡がなかったので、あ、やっぱり間に合わなかったのかと、私が迎えに行き、家に帰ってきました。

そして7時になっても、連絡がなく、あれ?と。どこにいる〜?夕方帰るんじゃなかったっけ〜?と、電話やLINEを送って。これはちょっとおかしいという気持ちと、もしかしたら車で疲れていて寝ているのかもと、想像が膨らんでいきました。いつもなら、遠方で仕事があったときも、ちゃんと連絡があったので。

初めて連絡があったのは9時頃。八代警察署の方からでした。「森岡太一さんの奥様ですね」と言われた瞬間に、だいたい分かってしまって。まだ山から下りてきていないから、この警察署に捜索願を出しに行ってくださいと言われました。私の実家がその警察署の近くにあったので、子どもを預け、主人の母に連絡して、一緒に行きました。

今日はもう夜なので捜索はできない。明日の朝から捜索するとご説明いただき、主人の写真、特徴などについてお伝えしました。パニックというか、動揺はありました。でも、今思うと、まだ軽く考えていたと思います。ひと晩どうにか頑張ってくれたら見つかるだろう、と。

ーーご主人も同じだったとお伺いしました。

夫・太一さん(以下、敬称略):はい。迷った自覚があったのは早く、下山し始めて10分くらいのことでした。鹿の群れがいて、写真を撮ろうと道を外れ、来た道を戻ろうとしたときに「景色が違う」と。今考えると本当に軽率でしたが、これはちょっとまずいと思っていながら、下ってきた道を再び登るのは、億劫でした。「とにかく下に下りれば、一般登山道に出るだろう」と。そして、そのまま下っている途中、急斜面があり、脇に入ろうとした瞬間に足を滑らせ、そのまま滑り落ちてしまいました。

水の音が聞こえ、顔の左半分が生温かいのを感じ、目が覚めました。時計を見たら、夕方の16時30分。娘のお迎えが間に合わないと思い、焦って、とにかく下に下にと、沢を下りました。

しばらくの間、意識を失っていたようでした。左耳からは出血があり、持っていた手ぬぐいで押さえながら、1時間ほど下ったら、もう18時。周囲は暗く、携帯の電波もない。雨が降り、持っていたライターで火を起こすこともできませんでした。近くに岩があって空洞になっていたので「ここで夜を越そう」「妻が心配しているだろうな」「明日車に着いたら着替えよう」と、このときはまだ気持ちに余裕がありました。

8月11日、捜索開始

ーー翌朝から、捜索が開始されました。

莉菜:場所が八代で自宅からは遠く、八代の警察署からも、山はさらに車で行ったところと聞いていました。主人の母から「私が行ってくるから、あなたは家にいて」と言われ、迷いましたが、私もそのほうがいいと思いました。下の子はまだ生後間もなく、授乳も頻繁にしないといけませんし、現地に行ったところで、登山をしたことのない私が山に入れるわけでもないからです。ただ、自宅にいるにしてもできることはあるし、全部やらないとと思っていました。

こうした場合に、Twitterが解決の一手になった、というニュースを時々見ていたので、今の自分ができることとして、まず、それがあるんじゃないかと。私はフォロワーは10人もいないし、あまりSNSも使うほうじゃないんですけど、同行していた友人が撮った主人の写真もあり、やってみる価値はあるんじゃないかと思って。

莉菜:最初のほうはやっぱり登山をされている方が沢山見てくださいました。それこそヤマップを使っていませんでしたか?ココヘリを使っていませんでしたか?と。初めて聞く言葉ばかりで、何も知らなかった私に、いろんなことを教えていただきました。

私には本当に、何の知識もありませんでした。主人の訪れた山がどんな山で、どんなに広い場所なのか。「手がかりがなく、今日は見つかりませんでした。」と言われましたが、ルートが分かっているのに、一日探してどうして見つからないんだろう、と。純粋に、山を捜索することの意味さえ分かっていませんでした。

ーーこの日のことについて、お聞かせいただけますか。

太一:朝日が左に見え、とにかく南へ進もうと決心しました。登山前に見た国見岳の地図を思い出し、登山口は南の方角だったと、そう思ったからです。朝の7時半頃から動き始めました。山の斜面は急で、下には沢が流れていたため、落ちないように大きめの木の、できるだけ根っこをつかみながら南へと進みました。

持っていた水が、空になりそうでした。私は結構水を飲むタイプなので、日帰りには不相応ながら、4リットルの水を持ってきていました。しかし前日の滑落で、多くはリュックから落っこちてしまった。沢に下り、800mlの水筒に沢の水を入れ、再び斜面を登り、南へ歩く。これを繰り返していました。当然、大きな声で助けを叫んだり、標高や北緯をスクショしてLINEを送ったり。でも、電波はもうずっと、全然届かずでした。携帯を見すぎて充電がなくなるのも嫌で。ただ、まだ帰れると思って行動していたので、メッセージを残したりとか、そういう感じでもなかったです。

8月12日

太一:腰と足に痛みがあり、眠ることはほとんどできませんでした。早く家に帰りたい一心で、5時半頃から動き始めました。下っても状況が変わる気配はなく、思い切って登り返す決心をしました。急な斜面を10mほど登ったら15分ほど休憩をとる。喉の渇きが酷くなれば、葉っぱについた水滴や切り株にたまった泥水を飲む。

眠気と疲れで思うように力が入らず、何度か滑り落ちてしまうことも繰り返し、標高を見ると1,200mほど。とにかく登るか下るかの場所しかなく、ただ偶然、比較的平坦な場所を見つけたので、ザックカバーを肩から腰まで被せ、横になり、目を閉じて、朝を待ちました。

ーー奥様はご自宅で、育児の傍らひとつずつ、やるべきことを見つけては実行していたとお伺いしました。

莉菜:私にはもう、いただいた提案を試すことしかできませんでした。救助犬を派遣している団体があるから電話してみたら? ドローンの会社に依頼してみたら? 空いた時間があればTwitterをみて、その手段を試す。声をかけてくださった方々へ、感謝とともに結果を報告する。

ヤマップさんのアカウントも主人は持っていました。推測したパスワードでログインできたものの情報はなく、運営の方に問い合わせてみたら?という提案にも、ただ従う。どうにかして探すための手段をひとつでも多く見つけて、使う。山の中で救助を待つ主人の姿を想像できたからです。無事を願い続けるより、有意義と思える行動を、ただひたすらしていました。

8月13日

太一:この日もひたすら登りました。携帯の充電が完全に切れ、ヘリコプターや車の音が聞こえる度に大声で叫びました。歩くのがつらく、嘔吐も続き、喉の渇きも耐えられない。疲れが溜まっていってることも、すごくよく分かっていて。死物狂いでした。

夕方、古びた人工物の標識を見つけて、林道に出ました。久々の人工物に嬉しい気持ちになったことを覚えています。

そのまま林道を進んでいたとき、湧き水が流れているのを見つけました。必死に飲み、水筒に補充し、18時半頃まで歩き続けたものの暗くなり、歩みを止めました。お経。人の声。笑い声。足音。様々な幻聴が聞こえ、一睡も出来ませんでした。

8月14日

太一:5時半頃からひたすら林道を歩きました。土砂崩れで渡れない場所も多く、回り道を繰り返していたとき、大雨に見舞われました。雨宿りできるような場所もない中で、できるだけ濡れずに済む場所を探しました。この日はそこから一歩も動けませんでした。雨は夜中も続き、1時間ごとに目が覚め、時計を見る。その繰り返しが嫌になり、朝日が昇るのを待ちました。嘔吐のし過ぎと体力の限界で、目の前に色々な人達が代わる代わる自分を見下ろして何かを言っている幻覚を見ました。

8月15日、捜索終了

莉菜:警察の捜索が終わったと連絡がありました。正直、もうダメかなと思ったこともありました。でも、待っていると想像がつく限り、眠ると申し訳ないんです。食べると申し訳なくなるんです。どっちにしても見つかるまでやり続けないと、このつらさは拭えない。もし自分だったらと考えても、すごく怖いし、耐えられない。一刻も早く見つけたい。安心させてあげたい。その一心でした。

太一:この日もまた、ひたすら林道を歩きました。何度かヘリを見かけて、大声を出したり、木の棒を振ったりしました。林道脇の山々も一通り登りきったものの、気力も体力ももう限界を超えていました。一般道はなく、目に映るガードレールや標識に対しても、すべて幻覚の現れだと思い込んでしまう。

気持ちをずっと保てていたのは、家族の存在です。生まれたばかりの息子と小学生の娘が、もし、いま隣にいたとしたら「父親として誇れる行動をしたい」というのが、ずっとあったので、何度絶望しても諦めずにいられたんだと思います。でもそれでも、もしものときの遺書を、妻と娘・息子に書きたいと、石で木に彫ったり、軽石で大きな石に削りつけて書きました。

もうひとつ、ものすごくあったのは後悔です。家族に対しても、友人に対しても、仕事に対しても。最後だとわかっていたらこうしていたのに、が尽きない。

何より、死ぬことを考えて生きていません。きっと多くの方も同じだと思います。苦しい時でも何でもないのに、明日死ぬと思いながら生きるなんて無理です。だからこそ、自分みたいな経験はもう誰にも。絶対にしてほしくない。

もうほとんど動くことができなかったので、頭の中で、もし助かったら、次死ぬときは後悔しないように生きようと、いろいろと思い描くことでしか、モチベーションを保つ方法がありませんでした。

少しだけ戻った場所に、空がひらけて、崩れた土砂の隙間から水が湧いている場所があったことを思い出し、次の日はもうそこで動かず、ヘリに気づいてもらうことを決めました。

8月16日、発見

太一:その場所に行き、流れていた水を汲み、中に着ていた白のTシャツを長い棒に引っ掛けて、ヘリが飛ぶ度に振っていました。手は傷だらけで、棒すら持っていられなかったので、近くの枝に立て掛けました。

そこから少し眠るのを繰り返し、この林道から飛び降りるか、舌を噛むか、石で頭を叩くか、楽な死に方も考えていました。ずっと脱いでいなかった靴下も、最後に何となく脱ぎたくて、裸足になったとき、シワだらけの足に落ち込みました。触るとプニプニしていて痛く、到底立つこともできませんでした。

水筒に汲んだ水がなくなったら飛び降りようか、最後まで違う道を探そうかを迷っていたそのとき、「動くな! 大声で叫べ!」と、幻聴かも、男性か女性かもわからないような声がハッキリと聞こえました。

鈴のようなカンカンという音と人の声が聞こえ、大声で叫び、ボランティアで捜索してくれていた3人が見え、再び大声で叫びました。3回ほど救助される夢を見ていたので、これも夢かと思いましたが「奥様が心配してますよ。家に帰りましょう」と言っていただいて、これは夢じゃないんだ、助かったのだと思い、遭難して初めて声を出して泣きました。
家に帰れる安堵と感謝でいっぱいでした。

ーー奥様の行動は、SNSの良い側面、共に助ける気運を強く引き出すきっかけとして、とても大きかったと思います。

莉菜:はい。これしかできない、けどこれならできると思い立ち、やって良かったと素直に思います。災害、救助支援ボランティアの方にサポート頂けたことも大きかったです。発見の一報は、消防の方からでした。「見つかりましたよ」「生きているし、意識もあります」と。身体の状態はどうですかと聞いたら「大きな怪我はありません」「いまからヘリで向かいますので、安心してください」と。

もうよかったに尽きていました。家族も。もちろんTwitterを見てくださっていた方々も。

莉菜:主人の母は、警察の方、救助の方、ボランティアの方々にご挨拶をしてくださったり、行けるところまで捜しに行ってくださいました。現地に行けなかった私に、本当にいろんな方が手を差し伸べてくださって。感謝しかありません。

太一:救助され、初めて妻と娘に会ったのは、私が集中治療室から出たタイミングでした。何と言葉にすればいいのか分からず、まず謝ろうと思っていたら、妻の方から「もっと早く見つけてあげれなくてごめんね」と言われて。私からはもう、何も言い返せる言葉がなかったです。

知らなかったこと

9月、ボランティアで捜索に携わった関係者有志による検証会が行われた。未捜索エリアの把握や情報の集約・共有など、実際的な課題とともに、より円滑で有意な連携のあり方について話し合われた

ーーたくさんの方が、捜索に関わってくださいました。

太一:本当に孤独だったので、こんなに沢山の方が捜索してくれていた、というのはもちろん知りませんでした。消防の方々、警察の方々、ボランティアの方々。総勢数百人規模の捜索だったと聞いています。真夏の国見岳に連日登ることなんて、普通の人じゃ不可能だと思います。本当に大変なことにも関わらず、皆さん「きつい」の一言も言わず、滝のような汗を流しながら、明日はどうしようと、ただただ次の日のことを話されていたと聞きました。本当に心から感謝しています。感謝してもしきれません。

下山開始から発見までの推定ルート。本人と作成。日付はビバーク地点。13日は不明。

太一:そして、毎日ニュースを見てくれて、Twitterで妻に声をかけてくださった方々。遠方から駆けつけてくださった方々。家の近くの神社にお参りに行ってくださった方々。看護師、心理士の方々。家族。アートを贈ってくれた大切な親友。

太一:自分がしたのは、死んでもおかしくない、軽率な行動です。にも関わらず、本当にいろんな方々が、その時々で動いてくださり、助けてくださり、支えてくださったことは「こんな世界があったんだ」という驚きでしかなく、本当に未知の出来事でした。

でももう二度と、誰にも、絶対にしてほしくない経験です。

この手はもう、看護師さんが、どの指に酸素濃度を測る器械をつけていいのか分からないぐらい、ひどい切り傷でした。10日の滑落で「すね」は、骨が見えている状態になりました。筋肉との間に泥が入ってしまっていたので、手術も受けました。私は幸いにも軽傷で済みましたが、患部を冷やそうと沢の水につけ、細菌や微生物が骨の中に入ってしまったがために、切断を余儀なくされたケースもあるそうです。湧いているところでさえ、微生物がいる可能性。嘔吐が続いたのもきっと、沢の水が合わなかったからです。沢の水はやむを得ない場合に飲み、その場合もできるだけ、身体に有害な不純物がある可能性を取り除く意味で、上澄みをすくい取ってから飲むべきなど、後から聞かせていただいたいろんなお話も、全くと言っていいほど、知りませんでした。

そしてセンセーショナルな側面だけが取り沙汰され、自分の真意に関係なく、極端な解釈が独り歩きしていくような状況。批判を超えた誹謗中傷や心ないメッセージ。手に負えない傷として深まっていくことがないように。心を整え、乗り越えられるよう、努力を続けています。

ーー事故を防ぐためにできることを、どのように考えるべきでしょうか。

太一:畏れ敬う存在として、自然と向き合うことの大切さ。そして、GPS、水、防寒着、ライト。自然に対する準備は、決して自分を守るためだけじゃないこと。準備しすぎて悪いことなんて、一切ないこと。自分は大丈夫と思わないこと。当たり前のことかもしれませんが、当たり前と思ってはいけないと。改めて。身を以って実感しました。

莉菜:私は、主人を知らなかったことが大きいと思っています。あまり同じ趣味もなく、私もそんなに干渉しない。「山登りに行ってくる」「夕方くらいに帰る」しか知らない。当日の装備とか格好を、警察の方に聞かれても、分からない。

当然、主人の油断や、単独行動をしてしまったことも原因です。でもそれ以前に、何が今回に繋がったのか。突き詰めて考えるとやっぱり知らなかったこと、気にしていなかったことはとても大きいです。

まずは、お互いのことに興味をもって、身近な存在だからこそ、情報の共有をきちんとしたいし、してほしいと思います。それこそ、みまもり機能のことも、今回初めて知りました。万が一、何かが起きたとき、役に立つ手段があるのなら使って、誰とどこで何をとか、まるで知らないような状況はもう絶対に無いほうがいいし、無くしてほしい。

その上でなら、もう何にでも。生かされた主人の人生の、あらゆる判断と決断に、私は喜んで背中を押してあげたいと思います。

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ご自身の身に起きたことを振り返り「もう二度と、誰にも、絶対にしてほしくない経験」として、お話しくださいました。しかし、今もまだ「事故に付け込んだメッセージ」や「無事に救出されたことへのお祝いのふりをした勧誘」が相次いでいるそうです。

森岡さんが、ご家族が、日常を取り戻せるように。
救けられたあとの人たちの気持ちを、いかに助けていくかが問われています。


遭難は他人事ではありません。どんなときでも万全の備えを忘れずに。

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[取材・文] 千田英史(YAMAP) [取材協力] 白木川直己(災害、救助支援ボランティア)

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