投稿日 2022.09.15 更新日 2023.05.23

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上皇も、武家も、庶民も。歩く人を惹きつける信仰の山と道|鎌倉殿の13座 #05

日本各地の低山に歴史物語を訪ね歩く低山トラベラー/山旅文筆家の大内征さんが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を思い起こしながら綴る低山の回想録。ドラマに登場した場所をはじめ、登場人物と所縁のある山、これを機にぜひ訪れたい名所などなど、ご自身のエピソードや山のトリビアとともに選出した13座の山旅をふり返ります。いよいよ最終回となったシリーズ第5回は、いつの時代も歩く人を惹きつける「山の信仰」をテーマに紹介していただきましょう。

大内 征(低山トラベラー/山旅文筆家)

鎌倉殿の13座|大河ゆかりの低山めぐり #05連載一覧はこちら

目次

最終回の原稿を書く前に、西湘バイパスを車で走ってきた。朝からどんよりした曇り空だったものの、小田原あたりで青空が見えはじめ、真鶴から伊豆山のあたりですっかり晴天になった。久しぶりに戻った青い空と汗ばむ陽気に、まだ夏は終わっていなかったのだと心が躍る。

石橋山に敗れた頼朝が真鶴半島から房総半島へと逃れたのが、旧暦の8月29日だそうだ。現代でいえば9月の下旬あたりだろうか。少し時期は違うけれど、きっとこんな風に澄んだ空の下であの逆転劇がはじまったんだなあと往時を偲ぶひととき。梶原景時や上総広常が登場したころの話だから、大河ドラマの方もいまはもうずいぶん物語が進んでしまった。

騒乱の世は、敗者と勝者の明暗がはっきりとわかれる。そしてすぐにまた新しい時代の勝者と交代し、敗者は時代から姿を消すのだ。歴史はドラマチックだなあと思うこともあれば、残酷だと思うことも多い。勝てば官軍、ではないけれど、語り継がれる歴史の多くは勝者の記録ばかりで、ぼくらは敗者の物語をあまりよく知らない。その意味で前回は「平家」「平氏」に注目をした。

最終回は、そういうことをもまるっと包み込んでくれる、日本一包容力のある山からスタートしたい。そんな都合のいい場所なんてあるのかと問われそうだが、それがあるのだ。勝つとか敗けるとか、表とか裏とか、貴賤とか性別とか、そういうことをすべて“和えて”フラットにしてくれる山が。清濁併せ呑む、蘇りの道が。

第12座「熊野古道・中辺路」|上皇も、武士も、庶民も。遥かなる「蘇りの道」は、貴賤を問わず

鎌倉時代といえば、平家物語の冒頭と、このフレーズを思い出す。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世間にある人と栖と、又かくのごとし。

歴代の鎌倉殿や13人たちと同じ時代を生きた鴨長明による『方丈記』(光文社古典新訳文庫)の冒頭である。人やその暮らしがそうであるように、また自然の中の現象がそうであるように、歴史も常に流れと渦の中にあり、同じものがいつまでもそのままであるということはない。

ところが、同じものがそのままであり続けてほしいと強く願う人も、中にはいる。特に絶対的な権力を持った人は、きっと“変化”を歓迎しないだろう。そういうことを祈ったかどうかはわからないけれど、平清盛や当時の上皇たちが何度も足を運んだのが熊野の地だった。

熊野古道は、紀伊半島の最奥に秘された熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道のことだ。役行者が開いた山岳信仰の聖地・吉野も、空海が開いた真言密教の聖地・高野山も、熊野本宮大社へ参詣する道でつながっている。皇祖神を祀る伊勢もまた、熊野への険しい道と結ばれている。それぞれ順に大峯奥駈道、小辺路、伊勢路と呼ばれる長く険しい道のり。ここに紀伊路、大辺路、中辺路を加えた6つの道のりの総称を熊野古道という。全長1,000kmにおよぶ、古からの“ロングトレイル”である。

異なる宗教が同じ半島の中にそろって共存していること、それらの聖地が「道」でつながり合っていることは、世界に例のないことらしい。そういうことも評価材料となり、熊野古道は「紀伊山地の霊場と参詣道」の重要な構成要素として“道の世界遺産”となった。

そんな熊野の地を、平清盛はたびたび参詣に訪れている。平家物語によると、最初の熊野詣では伊勢平氏の棟梁となって間もなく、まだ“安芸守”のころだった。熊野詣でを機に、いち国司からついには“太政大臣”にまで昇りつめたことで、平家の栄華は熊野詣でのご利益だとうわさされたほど。

面白いのは、その後に後白河上皇も熊野詣でに夢中になったことだろう。詣でた回数、なんと34回。後鳥羽上皇は28回と伝わる。いずれも“鎌倉殿“や北条氏とは因縁の仲だ。京からの御幸となると、紀伊路で口熊野(熊野三山への入口)とよばれる現・田辺市に入り、そこから中辺路を通って熊野三山を巡り、ふたたび田辺市から京へと戻ることになる。その期間、ざっと1か月。すごい予算と人数だったに違いない。そこまでして遥かなる熊野を目指した理由は、いったいなんだったのだろうか。願いか、祈りか、赦しか、はたまた別の目的があったのか。

熊野三山は、貴賎性別を隔てず、浄不浄を問わず、なんびとも受け入れてくれるとてつもない包容力をもった祈りの地である。人生をやり直したいと強く願う心があれば、熊野古道はだれでも歩くことを許される「蘇りの道」なのだ。ただし、なかなかに険しい。

ぼくは、毎年その熊野古道を歩いている。ひと口に熊野古道といっても全長1000kmにおよぶのだから、歩き方としては「セクションハイク」が多い。一度で歩き通す「スルーハイク」は理想的だけれど、なかなかスケジュールを組むことが難しい。そこで、歩いてセクション(区間)を自由につなぎあわせる歩き旅を楽しむわけだ。そのときの気分や旅の都合で区間を決めるから、順番はあべこべになることもある。だけど、長い時間をかけて少しずつ道をつなげて歩くことは、ぼくの人生の楽しみのひとつになっている。

義経の大きな支えであった藤原秀衡もまた、奥州から遠く熊野まで参詣にやって来たひとり。道中で出産した妻とともに熊野を詣でたそうだ。継桜王子には、岩屋に残してきた子の運命を占った桜が「秀衡桜」として残されている。

このエピソード、調べてみるとツッコミどころはいろいろある。しかしながら、ここで見逃せないのは出産のこと。当時、出産にともなうケガレは「不浄」とされていたものの、熊野はそれをも受け入れてくれた、ということを意味している。

生まれた赤子は岩屋でオオカミに護られ、石清水を乳にしてたくましく育ったそうだ。これがのちに義経を大将軍として頼朝と対決しようとした、秀衡三男・藤原忠衡である。

第13座「四尾連湖と蛾ヶ岳」|巻狩りで立ち寄ったかもしれない神秘の湖と富士山展望の頂

甲府の南に、蛾ヶ岳(ひるがたけ、1,279m)という山がある。甲斐武田氏の居城・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)から見てちょうど正午の太陽が真上に昇る山で、そのため「ひるがたけ」と読む。かつては昼ヶ岳と書くこともあったり、山域にヤマビルがいると噂されたり、その由来は諸説ありでよくわからない。中国仏教の聖地・峨眉山から転じて「蛾」をつけたと聞いたこともあった。霧がよく発生する山域のため、その霧が山肌を覆う様子が峨眉山に似ているからだろうか。

山頂からの眺めは、ダイヤモンド富士で知られる竜ヶ岳や天子山地の最高峰・毛無山越しにそびえる富士山が見事。頼朝が催したという大規模な巻狩りは、あの富士山の裾野をフィールドにして行われたそうだが、じつはあれらの山々を越えて、この近くまで来ていたと伝わっている。

その蛾ヶ岳の登山口に位置する四尾連湖(しびれこ)は、県下第一級の美しさを誇る小さな湖だ。山の上にひっそりと湛えられた水は清く冷たい。一説にはその水の冷たさから「しびれ」の名が付いたとか。内陸湖ゆえ、流れこむ河川はなく、流れ出る河川もない。湧き水と雨による神秘的な湖で、畔に張るテントは最高に気持ちがいい。

ここには尾崎龍王という四つの尾(つまり、四尾連)をもつ龍の神さまが宿るということで、富士山信仰の山伏や熊野の修験者が巡礼に訪れる。そうした湖はほかに七つあり、あわせて富士八海と呼ばれている。ここでは詳述しないけれど、富士八海も面白い。興味のある人はぜひ調べてみてほしい。

湖畔に建立された尾崎龍王の碑から四尾連峠に向かって山に入ると、ほどなく分岐に出合う。その左に出迎えてくれるのが、朽ちかけた子安神社とリョウメンヒノキの巨木。巻狩りの休憩に訪れた頼朝が、使っていたヒノキの箸を挿したものがここまで大きく育ったのだとか。枝が逆さについた、珍しいヒノキであった。

子安神社とは、富士山の女神であるコノハナサクヤヒメを祀る神社だ。安産・子育ての神として信仰されている。立派な神楽殿と社は、訪れる人がいないためかだいぶ朽ちてしまった。倒壊のおそれがあるため、立ち入りは自己責任となる。現地の注意書きを見て判断してほしい。

かつての本殿には、穴の開いた柄杓が供えられている。安産の神さまのもとにおいては、水がやすやすと底を抜けるように赤子も産まれてほしいと願ったものだそうだ。あるいは、悪いものが滞らないことを意味したり、運が拓けることを願ったりと、祀られる神社によって意味はいくつもあるらしい。読者のみなさんの地元にも、このような神社があるかもしれない。

ここを頼朝が訪れたのは、征夷大将軍に任ぜられた翌年のこと。信心深い頼朝のことだから、きっとなにかを祈願したと思うのだ。

神奈川県からは幕山、伊豆山、大山、三浦アルプス、江の島を。
東京都からは御岳山、棒ノ嶺を。
山梨県からは四尾連湖と蛾ヶ岳を。
新潟県からは角田山を。
岐阜県からは烏帽子岳(美濃富士)を。
兵庫県からは鉄拐山を。
和歌山県からは熊野古道・中辺路を。
大分県からは天神山(岡城址)を。

とまあ、こんな具合に「鎌倉殿の13座」を選んでみた。ドラマをきっかけにして、かつて歩いた山々のことを思い出す時間はなかなか楽しいものだったし、脳内であれこれと考えながら13座に絞る時間は、自分にとっても低山再発見の機会となり有意義なことだった。たまにはこうしてふり返ってみることも山旅の楽しみ方のひとつになるなあと、あらためて感じた連載期間。短い期間でしたが、お付き合いいただき感謝。

連載を終えたいまとなっては、読んでくださったみなさんが選ぶ「鎌倉殿の13座」が気になるかなあ。

文・写真
大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家

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