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奥多摩三大急登コース【鷹ノ巣山・稲村岩尾根】ブナの森とカヤトを楽しむ
関東周辺の人にとってはとても身近な存在ですが、奥多摩・奥武蔵の魅力には、ただ歩いているだけでは気づけない奥深さがあります。普段と少し目線をかえてみると、見慣れた山の新たな魅力に気づくはず。五感をフル活用して楽しむ「山歩きのポイント」を、奥多摩・奥秩父のおすすめコースとその背景にあるさまざまなトピックスとともにお届けします。ナビゲーターは、奥多摩・奥秩父を知り尽くした東京の低山マイスター、田畑伊織さん。第3回目は鷹ノ巣山の稲村岩尾根ルートを紹介します。
目次
奥多摩三大急登とは?
奥多摩エリアの山を歩くようになると、「奥多摩三大急登」というコースを耳にするようになります。ところが、人によって挙げる山も微妙に異なり、誰がいつ言い始めたのか、どこに出典があるのかなどもはっきりとせず、どの3コースを三大急登と呼ぶのかは明確ではありません。
ただ、その中でも必ず筆頭に名前が挙がるのが、鷹ノ巣山を北側から登る「稲村岩尾根」。1100mほどを一気に登り上げる、誰もが認める奥多摩の急登ナンバーワンのコースです。
鷹ノ巣山は、東京都最高峰の雲取山から東の奥多摩駅まで、背骨のように通っている「石尾根」の中間にあります。目立つピークとしては一番東側にあって、奥多摩で日帰りで行ける山の中では、僕が個人的に一番好きな山です。今回は稲村岩尾根から鷹ノ巣山に登るコースに沿って、ブナの森の魅力とその背景を紹介していきます。
スタートは「サンゴ礁の集落」から
「鷹ノ巣山」稲村岩尾根へは、多摩川の北側で東京の一番奥にある日原(にっぱら)という集落から登り始めます。
日原には、関東地方で最大級といわれる「日原鍾乳洞」があり、有名な観光名所になっています。このエリアにたくさん分布している石灰岩という岩は、硬いけれど水に溶けるという性質があるため、地下水が流れているところが溶けて、長年の間に鍾乳洞ができるわけです。水以外には強くボロボロ崩れることは少ないので、のっぺりとした形の白っぽい大きな岩が多く見られます。
石灰岩は、大ざっぱにいうとサンゴの化石。大昔に温かくて浅い海でできたサンゴなどが積み重なって固まったものなので、カルシウム分がとても多いのが特徴です。
これが植物の生育にはあまりよくなく、さらに石灰岩の岩場は土ができにくく乾燥しやすいこともあり、あまり植物が根付きません。逆にいえば、ここでも生きていける種類か、ここで生きていけるように変化してきた特殊な植物がたくさん見られる、地形も植生も特殊なエリアです。
ブナの自然林が広がる「涼しい森」の山
鷹ノ巣山山麓にはブナの森が広がっています。ブナという名前はよく知られていますが、関東地方では山の中にしかないので、東京の街中で見ることはまずありません。
日本全国で、ブナの森がない都道府県が2つだけあります。ひとつは沖縄県、そしてもうひとつはどこでしょう?
それは千葉県です。沖縄はなんとなくわかると思いますが、千葉県にないというのは少し意外に思うかもしれません。逆にほとんどの都道府県にあることのほうを意外に思う人もいるでしょう。その大きな理由のひとつは、千葉県には高い山がないからです。
少し気候と樹木の関係についてお話しましょう。
すべての樹木は、冬の間に葉を落とす「落葉樹」と、1年中葉を落とさない「常緑樹」に大きく分けられます。植物は光合成をして生きるための栄養を作るので、できれば1年中葉を広げて光合成をしたいのですが、冬が寒い(涼しい)地域では気温が下がると葉っぱが凍ってしまうので、涼しい地域に育つ木は、冬の間潔く葉を落として眠って過ごします。つまり、あたたかい地域では1年中葉を落とさない常緑樹、涼しい地域では落葉樹が森の中に多く育つということです。
さらに寒い地域になると、冬に葉を落としていては夏の時間が短すぎて十分な栄養を作れないので、針のように葉を細くして、葉を落とさずに冬の乾燥と寒さに耐える「針葉樹」が増えます。このように冬の過ごし方と葉っぱの形で、日本の森は「常緑広葉樹」、「落葉広葉樹」、「常緑針葉樹」の3つのタイプの森に大きく分けられます(カラマツなどの落葉針葉樹は日本にはほとんどない)。
気候と森林の関係
ブナは、年間平均気温が6℃から13℃の涼しいところに生える落葉広葉樹のなかまです。東京都心の年間平均気温は15℃くらい。冬も葉を落とさない常緑広葉樹が育つあたたかい環境なので、真冬でも明治神宮や皇居には緑の木がモコモコと生えています。しかし奥山に入れば標高が上がり気温が下がる(標高が100m上がると、気温は約0.6℃下がる)ので、涼しい森に育つブナの木が森を作ります。
一方で、千葉県の年間平均気温は東京とあまり変わらないものの、標高が高い山がないためブナの森が成立しないというわけです。
贅沢な木がつくる豊かな森
森ができるのには長い年月がかかります。岩の上にコケが生えて土をつくり、そこに草が生えて、次第に小さな木から大きな木が育つ。そして数百年という長い時間をかけて、湿った深い土のある条件のよい場所では、土の中から木の上までたくさんの生き物が暮らす森ができ上がります。
ブナは、森の中でも湿り気と深い土があるところが大好きな、贅沢な木です。つまりブナがある森は、あまり人の手が入らずに自然の長い歴史に育まれた、貴重な森だといえます。
そのような自然度の高い豊かな土地は、動物たちにとっても住みやすい環境。実際に日原地域の森を歩いていて、動物に会わないことはほとんどないといっていいほどです。シカやサル、イノシシやリスなど、たくさんの生き物たちが、山を歩く私たちを見つめています。当然クマにも注意が必要です。急登ではつい下ばかり見て歩きがちですが、ときどき立ち止まって周りを観察することも大切です。
奥多摩三大急登からブナの森とカヤトの尾根へ。稲村岩尾根から鷹ノ巣山(日帰り)
鷹ノ巣山へは、日原の集落から一度日原川の谷に降りて橋を渡ります。まずは1時間くらいの急登で巳ノ戸沢沿いに、稲村岩の根元から肩に取り付きます。稲村岩は高さ300mくらいある石灰岩の大きな岩の塊。取りつきに立って、ひっそりと静かな深い谷の中から見上げると、岩が倒れて押し迫ってくるようで、独特の雰囲気があります。石灰岩に特有の植生も、その雰囲気作りに一役買っています。奥多摩の他のエリアではあまり見かけることのない植物がすぐ足元にもあるはずなので、種類はわからなくとも「なんか違う……」という雰囲気を、充分味わって覚えておいてください。
稲村岩も肩から登ることができるのですが、一歩間違えば滑落事故につながる危険度の高い場所のため、現在は自粛の動きになっています。特別な植物が生育するところなので、専門的な植物観察などを目的に登る人もいますが、先の行程も長いので、ここはパスして先に進みましょう。
ここから稲村岩を後に、グイグイとひたすら尾根を登り上げていくのですが、2時間くらい歩いた山頂の手前に「ヒルメシクイノタワ」という平らな場所があります。あまり景色もよくないし、あと30分がんばれば山頂に着く、平らなこと以外は特に魅力もないところなのですが、なぜか毎回ここで昼ごはんを食べてしまいます。「今日こそは山頂で食べるぞ」と意気込んで出かけても、ここまでが結構つらくて、結局もうここで食べるかということになってしまうのが不思議。「撓む(たわむ)」という意味の平らなところをタワと呼びますが、よくこんなにうまい名前を付けたもんだと思います。
ここまでの自然林では、ブナの巨木の下にカエデも多く、春の新緑と深山の鳥のさえずり、秋のブナの黄色とカエデの赤の紅葉もとてもきれいです。急登も休み休み、深呼吸をしながら周りの風景に目を向けゆっくり登ってください。
日原集落周辺の植林されたスギやヒノキの林、そこから標高を上げ石灰岩地の植生、稲村岩を過ぎると、ブナの森が見られるようになり、さらに登ってヒルメシクイノタワを過ぎて山頂が近くなると、ほんの少し、亜高山帯の植生(寒い地域の森の植物)が見られるようになります。
急登で一気に標高を上げることで、短い距離で次々と違うタイプの森に出会えるのが、このコースの魅力でしょう。
ツラい登りも終わり、鷹ノ巣山の山頂に飛び出すと、南側の眺望が一気に開けます。
眼下の奥多摩湖、目線の高さの丹沢から富士山、大菩薩などの遮るもののない広大な眺めは、ここまでの急登の辛さを吹き飛ばしてくれること間違いなしです。
尾根沿いには2~30mの幅で草原が続いていますが、これは山火事の延焼を防ぐために木を切り開いた防火帯です。尾根沿いは風当たりが強いため、一度木を切るとなかなか生えてこず、また昔は集落の家の茅葺き屋根に使う材料を調達する場所として山の上を切り開いていたということもあり、かつては里に近い山の上に草原(カヤト)が多く存在しました。
かつてはカヤトにはさまざまな花が咲いていたのですが、今は盗掘やシカの影響で、植物の種類も減ってしまいました。しかし、今でも都内ではこの草原にしか咲かないような珍しい花もあり、夏にはさまざまな種類のチョウやトンボが群れ飛ぶ、奥多摩でも大切にしたい場所のひとつです。
下山は石尾根を奥多摩駅に向かって歩きます。駅まで歩き通しても、また、水根山や六ツ石山の分岐から奥多摩湖に降りてバスで奥多摩駅に向かってもいいでしょう。水根山の分岐を尾根通しに進むと、城山までの尾根はブナやミズナラ、ダケカンバの巨木の林が続きます。一方、水根山から南東の谷に下りて奥多摩湖に向かう登山道は、奥多摩の沢登りのメッカともいえる水根沢というところ。どちらに降りても交通の便がそこそこいいのが、都心に近い山ならではといったところでしょう。
なお、今回紹介した稲村岩尾根は鷹ノ巣山の北斜面になります。冬場の登山は特に稲村岩までの沢沿い、及び山頂付近で積雪・凍結のなかの急登となるのでおすすめしません。秋は11月以降、春は5月まで、軽アイゼンを携行することをお忘れなく。
【※】 2020年1月7日現在、本記事で紹介したコースのアプローチである日原街道は、台風19号の被害により西東京バスの奥多摩駅⇔東日原(日原鍾乳洞)路線運休が続いており、通行困難な状態です。当エリアへの登山を検討する際は、事前に登山道情報のご確認をお願いします。
■ 登山道情報
奥多摩ビジターセンター登山道情報はこちらから
西東京バス株式会社【路線バス】台風19号の影響による運休状況はこちらから
取材・文:小川郁代
トップ写真:YOKO.Mさんの活動日記より
かもしかの会東京代表・奥多摩植物誌調査プロジェクト世話人
田畑 伊織
武蔵野台地で育つ。東京の山は子供の頃の遠足エリア。学生時代から動植物調査で奥多摩・東京の島をフィールドに活動する。都内自然公園施設の自然解説員を15年ほど務めた後、ここ10年程は自由研究で奥秩父の山小屋を渡り歩き、引き続き東京の山・島にも足繁く通いつめつつ、東京の自然と自然公園の価値を追求し続けている。
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