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作家・池澤夏樹さんに聞く②|AI時代に五感で自然に向き合う意味
人間の文明を1本の木に見立てたとき、「登った木からの降り方がわからず、今にも折れそうな枝にしがみついている」と指摘するのが、作家の池澤夏樹さん。今回の対談では、「便利ではあるが、幸せではない」という社会で、生きものとしての感覚を取り戻し、自然のなかで遊ぶことの大切さについてお聞きしました。
目次
登った木から降りる方法
YAMAP 春山慶彦(以下、春山)
池澤さんはご著書の中で、自分という存在をもっと大きなフレームの中で取り戻すことはできないかと書かれていました。
池澤さんと生前に親交のあった星野道夫さん(1952〜1996、アラスカを拠点に活躍した写真家)は、ワタリガラスをモチーフにした神話を追っていらっしゃいました。自分という存在を、神話や生命の循環、あるいは宇宙など、もう少し大きいフレームの中で感じるということ。私自身も、今このような考え方が必要だと感じています。
ただ、都市化が進み、インターネットやさまざまなテクノロジーが発達する現代の中では、こうした世界観を社会や自分たちの暮らしにインストールするのは、なかなか難しいように思います。
そのあたりについて、池澤さんはどのように考えていらっしゃいますか。
作家 池澤夏樹さん(以下、池澤)
たしかに難しいですね。抽象的な言い方になってしまいますが、とても深いところまで下りていかないと向こう側に出られない。それは自分たちが、それぞれ考えるしかないと思います。
私であれば、最初はとにかくこの国を出ようと思いました。20代後半の頃です。あちこちに足を運びました。インドやミクロネシアの小さな島など、日本的な文明国ではないところへ。そうやって自分が生きてきた場所とは違うところに身を置く。
いくつかの場所を転々とし、ギリシャに落ち着きました。それまでたくさんの旅をしましたが、旅人に開かれる扉は少ない。だから、せめて1年くらいはどこかに身を落ち着けようと。あなたのアラスカと同じように、結局3年ほどいました。
その間も旅に出ましたが、ヨーロッパには行きませんでした。トルコだったり、エジプトだったり。何か違うものを自分の中に持ち込みたかったのだろうと思います。
そういうことを通して、世界の「大きさ」を測っていきました。薄暗いところをダーッと走っては壁にぶつかり、ここまではこうなっているのだと理解する。今度はまた戻って反対のほうへ走っていき、ああ、ここまであるんだと。
そうすると、だんだん暗くても分かるようになります。そういう、暗がりを走るようなつもりで、旅や暮らしを重ねていきました。
それと同時に本もたくさん読みました。昔を知るために昔の本を読む。当時はラテンアメリカ文学が紹介され始めたころで、ヨーロッパや日本と違う種類の文学を読み漁りました。そうやって一生懸命、世界を広げたんですね。それが最初の努力でした。
池澤
そのうちに、なんとなく分かってきたのです。世界についての知識と体験を通して、その奥にある原理のようなものが。これは見つけたというのではなく、ただ、少しずつ分かってきたという感じです。
その中には、たとえば自然と人間の関係があります。何かおかしなことになっているぞ、と。
文明は利便性をもたらしましたが、ただそれだけのことです。幸福でも何でもない。しかし、これは一種の依存症で、止まることがない。
文明を1本の木に見立てましょう。その木に登るところを想像してみてください。人間は、どんどん先へ先へと登っていく。でも降り方を知らない。そうすると、だんだん枝は細くなっていきますから、折れそうになる。今、ぼくたちがいるのはこの辺り。もうすぐ落ちそうというくらいのところです。
春山さんが最初に指摘したように、ぼくはこれまでたくさんの種類の仕事をしてきました。総論としては、文明批判とも言えるでしょう。
星野道夫はその途中で出会った相棒です。旅の同行者。あんな別れ方になってしまったのは非常に辛いことですが、彼は彼で、あれだけの仕事を残した。ただ、そうしている間にも世の中はどんどん悪くなってしまいました。
春山
おっしゃる通りです。私は3.11をきっかけに、自分が暮らしている地域をひとつの宇宙だととらえ、どういうふうに風土をより豊かにして、次世代につなぐことができるだろうか、ということを考えました。
建物やシステムなど、外側の改善に目を向けてばかりで、本当に変えなければいけないのはこちら側──。つまり、人間の考え方や精神、世界の捉え方の方ではないか。知識や情報ではなく、風土とのつながりを実感する身体経験がより身近になれば、風土の捉え方や私たちの生命が風土と地続きであることが感覚としてわかるのではないか。
理屈はもういいので、山へ行って、自然を歩いて楽しもう、と。この身体経験や自然観をベースにすれば、もう少しまともな、身の丈に合った社会がつくれるはずです。
先ほどの枝の話で言えば、「そっちに行くと危ないから引き返そう」となるはずです。現代における知恵は、「つくる」や「足す」よりも、「捨てる」や「手放す」の方にこそあるのではないか。身体感覚を磨いて、生きものとしての感覚を養うことが大事なのではないかと思っています。これがYAMAPという事業を続けている一番の原動力です。
池澤
先ほども言ったように、山は容赦ない。水筒を忘れたという話(作家・池澤夏樹さんに聞く①|写真家・星野道夫が教えてくれた自然の摂理【前編】)は、あれは自分自身の話で──。実際には水筒ではなくカメラで、ヒマラヤ南側の山奥での出来事でした。
随分登った後で、休憩したところにカメラを忘れてしまったことに気づいた。ガイドも一緒でしたが、仕方ないので「取ってくるわ」と言ったら、そのガイドが「ぼくが行くよ」と言って、バーッと走っていって、あっという間に戻ってきた。もう、体力が違います。
その時は、彼が取ってきてくれたけど、そうでなければ、自分で取りに戻るところでした。そういうことを繰り返して、自分の非力を知る。頼れるのは自分の体だけですからね。
春山
本当におっしゃるとおりです。池澤さんの『科学する心』(角川ソフィア文庫)に、このような文章があります。
「科学は知識ではない、五感をもって自然に向き合う姿勢であり、注意深い観察者は近代科学とは無縁なところでそれぞれに系統的な自然像を作ってきた」
大事なことは、自然との向き合い方、徹底した観察です。これは、山に行けば、自ずと自然との向き合い方が鍛えられます。常に観察していないと、一歩間違えば、死に至ることもありますから。
AI時代における歩くことの可能性
春山
これもぜひ池澤さんにお聞きしてみたいと思っていたことがあります。人工知能(AI)についてです。AIが進んでいくと、人間的なコミュニケーションはどう変わっていくと思われますか。AIの普及によって、人間のコミュニケーションのあり方が劇的に変わっていくような気がしています。
池澤
まったくわかりません。一時期、AIのことをずっと考えていましたが、あんなに早いスピードで進んでいくものの将来なんて、迂闊なことは言えません。ぼくはあれについては一旦沈黙しています(笑)。
春山
私は、インターネットで検索すればわかるような情報・知識はAIに任せて、身体感覚に基づいたコミュニケーション、一回性や有限性を前提とした、言うなれば「遊び」みたいなコミュニケーションが大切になるのではと思っているんです。
池澤
それはいいですね。
春山
遊びや余白にこそ、私たち人類の可能性がある。
池澤
確かに。AIに遊びはありません。
春山
そうなんです。そうしたときに注目したいのが「歩く」という行為です。時折、山を歩きながら考えるのですが、最先端のAIを搭載した、最先端の二足歩行ロボットをつくったとして、私たちのように山を歩けるだろうか、と。多分、歩けないと思うんです。歩けたとしても、1,2時間でバッテリーが切れるように思います。
私たちは、山を歩いているとき、「ここの岩は滑るかな」とか、「ここに足乗せて大丈夫かな」といったことを瞬時に判断しながら一歩一歩、歩いています。
よく、「山を歩いていると無心になる」と言いますが、あれは頭を使っていないのではなくて、ものすごく高度な情報処理を頭と身体で行っている。なので、他のことを考える余裕がなくなる。つまり無心にならざるを得ない。
山を歩くというのは、そのくらい高度な活動をしている。都会だと、アスファルトで舗装された道なので、何も考えずに歩くことはできると思いますが、自然の中ではそうはいかない、すごく危ない。
池澤
それはぼくも昔、気がつきました。都会では前を見て歩ける。
しかし、山道や田舎道では、下を見なくてはいけない。人間は二足歩行になったことで、転ばないようにと注意を払わざるを得なくなった。四足歩行なら、まず転ぶことはないですから。
間違いなくきちんと歩くということに、相当な身体的エネルギー、頭脳的エネルギーを使わざるを得ない。でもそれはある種、気持ちのいいことなんです。
春山
そうなんです、歩くことはとても気持ちのいいことで、楽しいんです。テクノロジーが進んでいったときに、逆説的ですが、自分の足で歩くことのすごさや気持ちよさ、そして、歩けることを含め人間の身体がいかに最先端であるかということが見直されるのではないかと思っています。
歩くという行為は、人間的であり、哲学的でもある。思考を深める上でも、大切な身体行為だと思っています。
池澤
そう。それが身体知ですよね。
短編小説の名手として知られるジャック・ロンドンの作品にこんな話があります。ひとりの男が荒野を旅していて、オオカミの群れに追われる。できるかぎり闘うけれども、弾薬も尽きてしまい、彼は雪原に座りこんで、オオカミに抗う最後の手段として火を焚く。
でも、だんだん火は小さくなって、遠巻きにしていたオオカミの輪がじりじりと近づいてくる。追い払おうと、彼は燃えている薪を握るんだけど、手にした薪の火の熱が手に伝わり、その熱さを避けるために自分の手が無意識に薪を握る位置を少しずつずらしていることに気づく。
そういうことができる自分の身体、そうして守ろうとしている自分の生命が限りなく貴重な、いとおしいものだと思われる……そんな話です。
つまり、この場合は大脳を経由していない、無意識の回路だけれども、自分の身を守るための動きをしているわけですよね。それが大事なんです。
春山
そうですね。頭で考えるのではなく、生きものとしての感覚ですね。情報や知識だけでなく、生きものとしての感覚や感性、生きていることのよろこびにこそ、人間の可能性はある、というふうになるといいなと思っています。生きものとしてどのように自然の中で暮らし、お互いに助け合って暮らしていくか。身の丈に合った社会システムや制度に変えていく必要があると思います。
池澤さんも本の中でも、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリについて触れられていますが、彼は農業が人類にとって一番の「詐欺」であったと言っています。
狩猟文化の豊穣さ、狩猟生活をベースとした小さなコミュニティーでの暮らしから、学ぶことも多いのではないかと思っています。
言葉も、情報や意味ではなくて、感情や共感を伝えるものだと捉え直すと、音楽や踊りといったものの方が、いわゆる知識的な言葉よりも大事だよね、というふうになるのではないかという気がします。
池澤
それもまた遊びですよね。
春山
はい、遊びです。遊びでの経験や関係性を通じて、地域あるいはまちをどのようにつくっていくかという。
池澤
その意味では、大都会は駄目だなぁ。隣の人の顔を知らないもの。
春山
身体知が発揮できるくらいの小さな場所に自分たちの暮らしを置く。気候変動で環境が変化している今、地域を単位に暮らしをつくりなおすことを積極的にやっていきたいです。
池澤
よくみんな「田舎暮らしのすすめ」と言いますが、確かにそうだと思います。その方が楽ですよ。そして何より楽しい。
池澤さんの地球とつながるよろこび
春山
最後の質問に移りたいと思います。YAMAPは企業理念として「地球とつながるよろこび。」という言葉を掲げています。
山を歩くことは、山を制覇するとか登頂するということではなく、山の存在が自分の中に入る経験でもあると考えています。山に登って住んでいる街へ帰ってきたとき、山と街は切り離されて存在しているのではなく、地続きであることを実感します。山を歩くことは「地球とつながるよろこび。」でもあるという思いを、この言葉に込めました。
池澤さんが「地球とつながるよろこび。」を実感したご経験を、ぜひお伺いしたいです。
池澤
ドラマティックな瞬間ということで言えば、一番ドラマティックだったのは、海の中でクジラに会ったことですね。以前、ジャック・マイヨール(*2)とカリブ海にクジラを撮りに行ったんです。
(*2)ジャック・マイヨール(1927〜2001)リュック・ベッソン監督の『グラン・ブルー』の主人公のモデルになった伝説のフリーダイバー。人類で初めて素潜りで水深100mを記録した。
たまたま、ぼくが船に残っていたとき、目の前をすーっとクジラが現れた。あわててダイビングマスクを持ってきて、きちんと装着する暇もないから、口のところにあてがって手で押さえたまま、水中に飛び込みました。
そうしたら、ぼくの目の前をクジラが通っていって、一瞬目が合ったんです。よく考えれば、クジラは目が横についているから、その目が前を通っただけなんですけどね。そして、そのままいなくなっちゃった。時間にして30秒くらいでしたけど、今思い出しても、あれはなかなか嬉しいことでした。
でも、日常の、それこそ朝起きて、林の中から日が昇るのを見て、「ああ、随分木の葉が繁ってきたなあ」と思うこともまた大事というか、ありがたいと思います。朝日もいいものですよ。
春山
池澤さんからお話をお聞きできて、至福でした。今日はどうもありがとうございました。
YAMAP代表・春山の対談集『こどもを野に放て! AI時代に活きる知性の育て方』(集英社)が発売中
YAMAP MAGAZINE 編集部
登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。
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