投稿日 2023.07.29 更新日 2023.07.28

YAMAP

習慣的に山を歩くことが「脳疲労」の改善に寄与する可能性|人と自然のウェルビーイングラボ 研究結果

「山を歩くことは心身の健康に役立つ」という感覚値に、科学的な裏付けを提供することを目指して、ヤマップは九州大学などとともに「人と自然のウェルビーイングラボ」を発足させ、「自然の中で身体を動かすことの価値」を見える化する研究に取り組んできました。この記事では、本研究の一環として行った実証実験で判明した、山を歩くことによる健康効果についてお伝えします。

目次

山を歩くことによる身体への影響は?「登山者群」「非登山者群」のデータを比較

大分県別府市の日向岳(1085 m)にて実証実験を実施(2022年10月)山麓に人気の温泉地・湯布院があり、豊後富士と呼ばれる由布岳が連なる

陽が燦々とふりそそぐ中、自然に足を運び、気持ちのいい汗を流すこと。それが『心と身体の健康に良い』ことは、誰しも一度は経験のある、普遍的な感覚ではないでしょうか。

この感覚に科学的な裏付けを提供することを目指し、ヤマップでは2022年、九州大学などとともに「人と自然のウェルビーイングラボ」を発足させ、「自然の中で身体を動かすことの価値」を見える化するべく以下のような調査・研究を行ってきました。

まずは、山を歩くことによる身体への影響を明らかにするため、毎月、習慣的に山を歩いている「登山者群」と、そうでない「非登山者群」を合わせた約50名の被験者(※1)に集まっていただき、両群同じ条件下で、大分県別府市の日向岳(1,085m)を歩いてもらいました。

(※1) 登山者群:毎月登山実績があり直近の獲得標高差が500m以上2,000m未満の男女25名(男性14名、女性11名)、非登山者群:前回登山から4ヶ月以上経過しているか4ヶ月以内の獲得標高差が100m未満の男女21名(男性11名、女性10名)

活動前・活動後それぞれの身体状態を測定

血圧や脈拍などの身体データに加え、生活習慣や職場、家庭環境などに関する約90項目に及ぶアンケートを実施。また、性別や体年齢など、様々な基礎情報(※2)も考慮し、網羅的かつ高精度な解析を行いました。

(※2) 変数:登山経験有無、性別、年齢、脳疲労マーカー(アンケート)、朝食、体温、体重、体脂肪率、内蔵脂肪レベル、BMI、骨格筋率、体年齢、酸素飽和度、血中コルチゾール濃度、最高血圧、最低血圧、脈拍、基礎代謝、各パラメータの登山前後の増減値

脳疲労度の低い人は、血圧低下の効果が大きい傾向に

実証実験で得られた身体データ等を解析した結果、大きく3つの結果が明らかになりました。

1つ目は、脳疲労度の低い人は、登山後に血圧低下の効果が大きい傾向にあること、また、脳疲労度が低い人は「登山者群」に顕著であったことです。

脳疲労とは文字通り、脳が疲れた状態のことをいいます。情報過多・ストレス社会と密接に関わる象徴的な症状のひとつで、脳本来の機能が妨げられることで、心や身体にも影響を及ぼす可能性が指摘されています。

「登山者群」と「非登山者群」の「生体データ(血圧)」と「脳疲労度」との相関を分析したところ、脳疲労度が低い人(脳疲労マーカー=180未満)は、登山前と登山後の最高血圧の差が大きく、山を歩く運動行為/日内変動(※3)により得られる血圧降下の効果が大きい傾向にあることが判明しました(図2a)。

さらに、脳疲労度の低いグループ(脳疲労マーカー=180未満)には「登山者群」が多い傾向も見られ(図2b)、習慣的に山を歩くことが、脳疲労の改善に寄与する可能性が示唆される結果となりました。

(図2a)縦軸(登山前後最高血圧差)がマイナスの値になるほど血圧降下の効果が大きいことを指します。
(図2b)横軸(脳疲労マーカー)の脳疲労が低いグループ(180未満)には「登山者群」が多い傾向。図2aにおいても同様の傾向が見られました。

(※3) 日内変動:体内時計により血圧や体温などが24時間周期の昼夜変化に合わせて変動する生体リズムのこと。後述する「血中コルチゾール濃度」は日内変動の影響を受ける(ピークの午前8時と比較し正午では約70%に減少)

すっきりとした目覚めの朝を迎えられている「登山者群」

2つ目は、登山をする人は、朝から活動的で目覚めが良い傾向にあったことです。

登山前(朝の時間帯)に測定した「血中酸素飽和度」のデータから、血中酸素飽和度が高いグループ(98%以上)には「登山者群」が特に多い傾向が見られました。

血中酸素飽和度とは、心臓から全身に運ばれる血液のうち、何%が酸素と結びついたかを調べた値のことです。

習慣的に山を歩く「登山者群」は、朝の時間帯から身体の状態が活動的になることが多く、血中酸素飽和度の低い寝起きの状態から酸素飽和度の向上が見込まれやすい可能性、つまり「非登山者群」と比べ、すっきりとした目覚めの朝を迎えられていると考えられます。(図1)

(図1)血中酸素飽和度が高いグループ(98%以上)には「登山者群」が特に多い傾向が見られました。

「ストレス解消効果」は恩恵を受けやすい条件あり

3つ目は、山を歩く運動行為による「ストレス解消」への影響です。

「登山者群」「非登山者群」の登山後の「血中コルチゾール濃度(※4)」を比較しました。コルチゾールはストレスに関与し、過度なストレスを受けると分泌量が増加するホルモンの一種です。

登山後の血中コルチゾール濃度は、「体脂肪率」「体年齢(※5)」と正の相関関係が見られ(図3a,b)、「骨格筋率(※6)」との間には、負の相関関係が見られた(図3c)ことから、体脂肪率が低く、骨格筋率が高く、体年齢の低い人は、山を歩く運動行為/日内変動によるストレス解消の恩恵を受けやすい可能性があることがわかりました。

習慣的に山を歩く「登山者群」は、無条件に「脳疲労改善」の恩恵を受けている可能性が高いものの、より良い「ストレス解消効果」を得るには、望ましい条件(体脂肪率が低い・骨格筋率が高い・体年齢が低い)があると言えます。

(※4)コルチゾール:副腎皮質から分泌されるホルモンの一つ。ストレスに関与し過度なストレスを受けると分泌量が増加する。主な働きは、肝臓での糖の新生、筋肉でのたんぱく質代謝、脂肪組織での脂肪の分解などの代謝の促進、抗炎症および免疫抑制などで、生体にとって必須のホルモン。例えば、その炎症を抑える働きから、ステロイド系炎症薬として治療にも広く使われている。
(※5)体年齢:基礎代謝をもとに算出した体の年齢、指標のこと。基礎代謝は体重、体脂肪率、骨格筋率などを総合して算出しているため、体年齢は自分の体を総合判定する目安になる。
(※6)骨格筋率:体重のうち「骨格筋の重さ」が占める割合のこと。運動の成果が出ているかどうかを判断する指標になり、骨格筋が高いほど基礎代謝が良いとされる。

なお、「非登山者群」と「登山者群」との血中コルチゾール濃度に無条件下での(単純比較による)有意差はなく、血中コルチゾール濃度と「脳疲労度」との関係についても、ほとんど相関関係が見られませんでした。(表1)

(表1)血中コルチゾール濃度の「脳疲労度」との相関係数を算出。相関係数は、1 に近いほど「正の相関関係(一方が増えればもう一方も増える)」が強く、-1 に近いほど「負の相関関係(一方が増えればもう一方は減る)」が強い。以下は目安(0.0~0.2 ほとんど相関関係がない、0.2~0.4 やや相関関係がある、0.4~0.7 かなり相関関係がある、0.7~1.0 強い相関関係がある)。補正はコルチゾール血中濃度の日内変動補正のこと。

脳が疲れると、人はどうなる? ー 馬奈木俊介・九州大学教授に聞く

「登山者群」「非登山者群」両群のデータ比較に焦点を当てた本研究では、実験で得られた3つの結果を統合的に評価し、普段からのエクササイズや運動ではとれない脳疲労を、標高が500m以上の山で、月に1回以上の登山習慣が解消する可能性を結論づけました。

「頭がスッキリする」「モヤモヤが晴れる」といった、山を歩くことによる効果の一端を解明できた一方で、やはり気になるのは、私たちを取り巻く環境が、脳の疲れに繋がっているという指摘です。

環境都市工学に詳しく、本研究の研究主幹を務めた、九州大学・馬奈木俊介(まなぎ しゅんすけ)教授にお話を伺いました。

馬奈木俊介氏/九州大学大学院工学研究院 都市システム工学講座 教授、九州大学都市研究センター長・主幹教授、株式会社サステナブルスケール 取締役、国連「新国富報告書」代表
環境都市工学・企業のSDGsに関する取り組み等、見えない価値(非財務指標)を測る様々な取り組みに精通し、国内総生産(GDP)に代わる「新国富指標」を提唱。「人と自然のウェルビーイングラボ」では研究主幹を務めた。

ー今回の結果について、総括をお願いできますでしょうか。

今回、研究の出発点になったのは、思い思いに自分の会話を繰り広げたり、何の制約も受けずに、ただただ自分の好きなように行動することが心身に好影響をもたらすという先行研究でした。大自然の中で身体を動かす行為もそれに似た部分は多く、これまで体感的・経験的に知られてきた仮説に、科学的なアプローチで応えることはとても意義のある、有益な研究でした。

今回得られた結果のように、普段からよく自然に足を運んでいる方であれば「頭がスッキリした」経験は大なり小なりあるものと思います。心と身体の健康に良い影響をもたらすことも、周知の事実だったかもしれません。しかし、経験値や実感値というのはあくまでも主観の域を出ず、中立性や客観性を担保するには困難を伴います。科学的なアプローチの意義はまさにここにあるでしょう。

一方で、山を歩くことの「何が」脳疲労の改善に寄与しているのかは研究の余地があります。研究は一般的に、唾液、血液、腸内細菌など、細分化するほどに膨大なリソースを要しますが、それらにより、より精緻な結果が今後得られる可能性もあるでしょう。

また、広い視点で「人と自然のウェルビーイングラボ」の活動を捉えるならば、自然に触れたいと考える人が増えれば、未病の改善や予防医療の貢献につながるかもしれませんし、自然への意識が高まることで、環境保全・回復の前進に繋がるかもしれません。人と自然の関係をめぐる今後の様々な活動を促進する一助になればと思います。

ー「脳疲労」については、聞き慣れない方も多いと思います。注目されている背景について教えてください。

人間の身体を想像してください。身体の内側には良い食べ物と悪い食べ物、身体の外側には良いストレスと悪いストレスがあり、いずれも人間の身体に影響を与えています。悪い食べ物を食べると身体は壊れてしまいますよね。悪いストレスも程度が大きければ食べ物と同様に身体を壊すことにつながってしまいます。ですから、本当は食べ物について考えることとストレスについて考えることの『どちらも大事』なんです。

ですが、食べ物に比べ、私たちを取り巻くストレスの存在は、あたりまえにそこにあるものとして看過してきました。視点や興味が偏っていたんです。例えば、プロテインを摂取することの利点とデメリットや、地元で採れた新鮮な食材を使う利点、含まれている成分、その含有量など、「口から取り入れた何が身体をつくるのか」を、長年研究の軸にしてきた歴史があります。

ですので、身体の外側にある環境・ストレスなどが無作為にも人間に働きかけて、頭や心、そして身体に影響を及ぼすという研究や、それによる経済への影響が議論されるようになったのは、かなり最近のことです。私が行った共同研究でも、ストレスによる日本の社会的損失を一人あたり年間100万円と試算し、研究報告として出しましたが、それもたった3年前のことです。

その理由は、何らかの原因によって身体に影響を与えたことを、容易には分析できなかったためです。技術が進歩し、身体の細かい反応を見ることができるようになって、初めてストレスの影響があったんだと適切な判断がつくようになりました。「脳疲労」も同様です。

仕事や人間関係のストレス。憶測や虚実も含め様々な情報が飛び交うインターネット環境。世界的な紛争や経済危機。回復の兆しが見えず長引く不況など、もう私たちは意識するしないに関わらず、脳が処理しきれないほどの膨大な情報環境に生きています。

身体の外部から影響を及ぼす様々な要因が、人間本来の五感と認知に機能不全をもたらし、うつ病や認知症など精神疾患、肥満や糖尿病などの身体異常を誘発している可能性が指摘されているのです。

(出典:「BOOCS脳疲労仮説」ウェブサイト)

脳疲労を解消するのに大切なのは、ただ自分にとって心地よいことを受け入れ、実行することです。ストレスを溜め込まず、やりたいことを思う存分やることです。

シンプルで簡単そうですが、それがとても大切な考え方になってきました。自由度の低い生活が続いてしまう場合でも、その中で、自分が快適に過ごせる状況を整えることが求められています。

ーいかに心地よい環境を整えるかは「ウェルビーイング」にも通じますね

はい、人も企業も。ひいては地域も国も同じです。会社であれば、売上などの財務指標が良くても、支える社員の負荷やESG/SDGsへの無配慮など、社会から見えにくい価値(非財務指標)が悪ければ、それは不健康な状態です。ものすごく気合いの入った社員がいても、一緒に働く仲間にやる気がなければ心は辛いじゃないですか。また、どんなに仕事がうまくいっても家族や人間関係が良くないとウェルビーイングとは言い難いでしょう。

反対にお金が少なくて苦しい生活をしていても、笑い合って気持ちよく過ごせたり、喜びや幸せを感じられるなら、それは健康な状態なんです。

ー自分が心地よく思える選択をすることがとても大切な時代ですね。貴重なお話をありがとうございました

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