投稿日 2025.12.05 更新日 2025.12.05

楽しむ

【山の仕事ガイドブック】山の絵描き|「登ることでしか見えない景色を絵にする」特別公開 VOL.1

山に関わる30人の仕事を紹介する『山の仕事ガイドブック』(学芸出版社)
が、2025年11月に発売されました。

山小屋の人はどのくらいの頻度で山を下り、大量の食材をどう調達しているのか。家族、収入、山以外の生活、勤務体系はどうなっているのか——。

山を登っている人が感じる素朴な疑問の答えと、なかなか知ることのできない山の仕事のリアルが赤裸々に綴られて、都市部での進路や生き方に悩む現代人の選択肢を広げ、そっと背中を押してくれます。

今回はその中から、山の絵描き・﨑山 あいりさんの章を特別公開。山と向き合う中で自身を表現し続けるひとつの生き方をご紹介します。

目次

﨑山(さきやま)あいりさんについて

剣岳を登山中の筆者©熊久保峻

1993年神奈川県生まれ。東京藝術大学絵画科日本画専攻を卒業、大学院修士日本画を修了。修了と同時に個人事業主として画家活動を開始。

もともと和紙や岩絵具といった日本に古くからある画材で自然のある景色を描いてきたが、2022年ごろから登山にハマり、題材を山に絞って制作するようになる。

X:@airi_sakiyama

あいりさんが描いた作品

荒川源流股ノ沢をモチーフにした作品『心音を辿る』

奥秩父の荒川源流、股ノ沢の遡行はとても印象深いものだった。

渓流釣り場からトロッコの軌道跡をたどり、
暗い谷の中を一歩一歩確かめるように進んでいく。

2泊3日の行程で自分たちのパーティー以外に出会ったのは
序盤にいた釣り人のみだ。

対して動物たちの気配を感じる機会が多く、
イワナが一瞬体を光らせて岩陰に隠れたり、
綿毛のようなミソサザイの雛が不慣れな様子で沢に飛び下りたり、

真っ暗な避難小屋で
小動物が私たちの荷物を漁る音で目を覚ましたりと、
深い森と谷に流れる特有の時間を過ごした。

稜線歩きの爽快感とは異なる
山の深部に潜り込んでいくような静かな山行で、
しみじみと印象に残っている。

山に登ることで、また絵が描けるように

大菩薩嶺でスケッチをする筆者

絵を描くのは得意なほうで、好きなことを仕事にしたいという思いがあったため中学生のころには美大進学を意識していた。一方山や森といった緑豊かな自然も好きではあったがアウトドアには縁がなく、登山といえば大学生のころに数回近郊の低山を登った程度であった。

美大では伝統的な素材と技法に興味を持ち、日本画科に入学。風景画を中心に描き始めるも、ありきたりな構図や色彩に引っ張られてしまうことが多く、ポジティブだったはずの私は大学院を出て作家活動を続けていくうちにすっかり自信を喪失してしまっていた。

そんな折同級生に登山に誘われ、せっかくなら森林限界を超える山を目指そうと秋の谷川岳を登ることになる。これが私と山の明確な出会いだったと思う。

低山とは異なり一歩進むごとに変わる景色に目を奪われ続け、疲れはほとんど感じず、下山してすぐに次の登山のことで頭がいっぱいになった。

その後季節はすぐに冬へと変わる。急いで登山に必要な基本装備を揃え、足りないものはレンタルして初心者でも行けそうな雪山をいくつか登り、その後は体力づくりも兼ねて暇があれば近くの丹沢の山を登るようにした。

赤岳を登山中に見た朝日

思い立ったら突き詰めたくなる性分なので翌年の12月には富士山の雪上訓練に参加し、これをきっかけに山の仲間に恵まれて長野や富山の山に行く機会も増えた。

そうして山に登るごとに、漠然と風景を描くのではなく「山で見た光景」や「山にまつわる事象」を自分の視点や登山という体験を通して描きたい気持ちが強くなっていった。

何のために絵を描いているのか目的を見失いかけていた時期を経て、「絵を描くために山に登る」「山に登りたいから山の絵を描く」という開き直りに近いマインドを持てたことで、描くこと自体も以前より純粋に楽しめるようになったと思う。

山の表現を模索し続ける

赤岳スケッチ

登山を通して目にした光景や体験から着想を得て絵画制作をし、個展をメインに発表、販売をしている。

山にモチーフを絞ったのは比較的最近だが、過去には深雪の北横岳のような特定の景色から、夜明け前の雪中山行といった体験した出来事に焦点を当てた作品などを描いてきた。今後は気象や地形などの専門的な要素も徐々に取り入れつつ、テーマに奥行きを持たせていきたいと考えている。

登山に関しては最近沢登りや雪山といったバリエーションルートに行く機会も増えて、季節問わずいろいろな形態で登っている。沢登りでは奥多摩や奥秩父、雪山では南アルプスや北アルプスなど山域自体はメジャーだが、その中でも人影が少ないルートへ赴くことが多い。

まだまだ経験の少ない未熟者だが、山での過ごし方を仲間から学び、本などの知識も取り入れていくうちに、周囲の景色に対する見方や身体感覚も少しずつ鋭くなってきたように思う。

これからも山行を重ねていき、麓から山を眺めるだけでは想像できない、時間と労力をかけてこそ見えてくる景色や緊張感を大切に作品を描いていきたい。

沢登り中

今後の新たな仕事としては冬山登山に関する文章と作品写真の雑誌への寄稿や、山道具のデザインに使用するための作品制作といったお話がある。

また今年の5月にはネパールの山に登ったので、その山行をメインテーマとした個展も計画している。どれも絵のほうではなく山でできたご縁でいただいたお話で、登山を始めるまでは想像もしなかったことだ。

山と絵画両方を通してこれからどんな出会いがあるのか、どんな経験や作品ができるのか自分でも楽しみでならない。

ネパールの山に限らず今後の個展では何かしらのテーマを決めて、鑑賞する人が追体験しやすい形を心掛けていきたい。最近開催した個展は沢登りに題材を絞ったもので、会場が暗いことから実際に遡行した深い谷の情景を演出しやすいのではと考えたのが始まりだっだ。

作品を一枚で完結させるのではなく、テーマをもって空間ごと演出することで、山での情景をよりリアルに感じてもらいたいと思う。

創作と登山の境目がない日々

個展会場の様子

作家として主に東京のギャラリーで年に1〜2回の個展やグループ展を複数回行いつつ、副業として美術の非常勤講師を2箇所で掛け持ちしたり、寺院の襖絵の依頼制作などをしている。

登山は月に大体5〜7日ほどでテント泊がほとんど。正直に言えば収入は副業のほうが安定しており、副業や登山の合間に自分の制作を進めるといった生活だ。とは言え副業先でも制作できるスペースがあり、隙間時間に小まめに作業を進めることができるので案外はかどっている。

登山や仕事で日中なかなか家にいられないため、数箇所作業場があるのは大変便利だ。そのうち大きい車を手に入れて山と山を移動しながら制作したいという夢もある。

家族はわりと放任主義なので、制作と登山両方とものんびり応援してくれている。一応登山計画書も置いていくが、頻繁に出掛けているものだからいちいち確認していないかもしれない。

体力維持のためにも山に行く間隔を2週間以上空けないようにしており、日帰りで友人を誘うときは荷物を重くする意図もあって山ご飯をちょっと贅沢にしてみたりする。

また海外登山での高山病対策に向けて、有酸素運動を日常にわずかばかりだが取り入れ始めた。具体的には副業の仕事場から自宅までの数駅分を走って帰宅するのだが、ランニングは苦手なのでこればかりは修行感が否めない。

副業として取り組む襖絵制作の様子

一方最も趣味に近い感覚で楽しんでいるのは屋内クライミングで、岩登りのトレーニングの足しになればと思って始めたが、課題を着実にクリアしていくのが爽快でこちらも仕事終わりに時折寄っている。制作と土日の登山と副業以外は全てこんな過ごし方をしているため、趣味と仕事の境目はほぼないようなものだ。

身近には画家一本で生活している先輩や同期もたくさんおり、彼らと比べると制作時間はどうしても少なくなってしまう。こんな生活をしているので当たり前ではあるが、山をテーマに作品をつくるにあたって少しでも若いうちに力をつけて難しい山にも挑戦し、インプットとしての登山のレベルも上げたい。

フィジカルではどうしても男性に劣るし、登山も制作も中途半端になってしまいかねない不安は常にあるが、それでも登れる限り挑戦し、どんなに時間が掛かっても作品に還元していきたいと思う。

当面の問題は雪山や岩陵帯などの危険を伴う場所でどのように取材するかだ。普段の制作では写真以外にもスケッチを元に描くことが多いのだが、滞在すればそれだけリスクが増すし、同じ目的と日程で同行してくれる仲間もそういないのが悩みどころである。

山は、創作の泉

1月の北横岳をモチーフにした作品『銀の道』

ただ見えたままの山の景色を描いても実際の山の美しさやスケール感には到底敵わない。だからこそ自分にしかない視点を通して観察し、どこに魅力を感じたのか、どうすれば人に伝わるのかをより深く考えることが重要になる。

そうしたときに自分の限られた体験だけでなく、山に関わる人たちと出会い、その経験からなる知恵の一端に触れることで、今までただ綺麗だと思っていた景色の新たな側面が少しずつ見えてくるようになった。

北横岳を登山中の筆者の背中©安河内蘭

時期や過ごし方によっても山行の印象は大きく変わる。天候による変化は街でのそれと比較にならないほどで、人間側が常に山に適応しなければならない。

スケッチのように一人で孤独に向き合うときもあれば、仲間と焚き火を囲んで晩餐を楽しむときもあり、同じ山でも登るたびに新たな発見がある。おかげで発想や表現の幅も広がり、今は増えていく構想に制作が追いつかないくらいだ。

美術の世界では何となくで生きていては思いつきもしないような観点で作品をつくり出す人たちがたくさんいるが、私にとってのそれを山を通して見つけていきたい。

「続けられそうな道」を選択するという考え方

影剱(朝陽を受けて剱岳のシルエットが富山の街に落ちている様子).

好きなことを仕事にすると、上手くいかなかったり嫌な側面が見えてきて純粋に楽しめなくなるというのはよく聞く話だ。私の場合は描きたいものが不明瞭なままなのに、つい他人と作品の出来を比べてしまうことが辛かった。

それでも続けるということも重要だが、続けられそうな道を選択するという考え方もあって良いと思う。私は大好きな登山とそれまでの仕事を結びつけることでやりたい道筋が開け、以前よりはるかに頑張りやすくなった。苦痛がないとは言わないが、楽しく感じることが圧倒的に増えた。

なにもやりたいことを一つに絞らなくても、〝好きなこと〞と〝得意なことやそれまで培ってきたスキル〞といったように、別ジャンルの内容を掛け合わせると今までなかったような面白いことができるかもしれない。

本当にやりたいことが何なのかを常に考え挑戦し続けられたとしても、心から満足することはないかもしれないが、それでも納得のいく人生になれば嬉しい。

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