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「鬼滅の刃聖地巡礼」竈門神社と宝満山を巡るマニアな山旅
「聖地巡礼」。それは漫画やアニメ、映画などにゆかりのある場所を訪れ、登場人物の気持ちと一体化し、思わず必殺技の名を口走ってしまうほどの没入感を味わう行為。本企画は、名作の舞台となった山を空想豊かに登り、そこにキャラの存在を追い求めるものである。
今回の舞台は「鬼滅の刃(きめつのやいば)」の聖地として脚光を浴びる福岡県太宰府市の「 竈門神社」とその背後にそびえる霊峰「宝満山(829m)」。竈門神社からさらに足を伸ばし裏手にそびえる宝満山に登ると、そこには世にもマニアな聖地が広がっていた…。
目次
鬼滅の刃とは?
早速、聖地巡礼の話を始めたいところだが、まずは「鬼滅の刃って何?」といった前時代的な質問が聞こえてきそうなので、基本のキをじっくり説明しよう。
…
……
と思ったが、些末なことに行数を割くのはもったいない。ここは簡単な説明に抑えることにする。私たちがこうやって足踏みしている今も、炭治郎や禰豆子(ねずこ)、柱たちは鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)との激しい戦いに明け暮れているのだ。我々に猶予はないのである。
=簡単な説明=
「鬼滅の刃」とは、週刊少年ジャンプで2016年より連載されている漫画のタイトル。主人公は竈門炭治郎(かまどたんじろう)という少年。鬼によって家族を殺され、大切な妹を鬼にされてしまった炭治郎が家族の仇を討ち、そして妹を人に戻すため、剣技を磨きながら鬼と戦いを繰り広げていく漫画である。
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炭治郎と禰豆子が描かれた絵馬。竈門神社境内にて
何かと話題の太宰府
そして、この「鬼滅の刃」の聖地として、注目を集めている場所こそが福岡県太宰府市にある「竈門神社」である。
太宰府天満宮の奥に位置する竈門神社。主祭神は縁結びにもご利益がある「玉依姫命(たまよりひめのみこと)
少し前に「令和」改元で話題になった坂本八幡宮までは車で約15分ほど。また「月刊コミックバンチ」で大好評連載中「応天の門」の主人公である菅原道真公が祀られている「太宰府天満宮」までも車で10分。さらには21世紀を代表する名作「キングダム」の作者、原泰久先生の出身地も太宰府近くの佐賀県基山町。シリコンバレーやブロードウェイに匹敵する、アツい街なのだ。
ちなみに、テレビ東京の名物番組「アド街ック天国」では、2017年に太宰府を特集している。その先見の明には、脱帽するばかりである。
気になるアド街ック天国の放送内容はこちらから
竈門神社が「鬼滅の刃」の聖地となった理由
さて、この竈門神社が聖地となった理由は主に下記である。
理由 壱
主人公の「竈門炭治郎」の苗字と同じ名前である
理由 弐
竈門神社裏の宝満山で修行を行う修験者の装束が炭治郎の服と同じ「市松模様」である
理由 参
作者の吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)先生の出身が福岡県らしい
宝満山はかつて修験の山であった。写真は竈門神社に収蔵されている「宝満修験道葛城入峯之図」
これだけの根拠で聖地化するのは、一般人から見ると、やや強引に思われるかもしれないが、聖地巡礼とは、そもそも強引なものなのだ。ようは気持ちの問題である。スルメとマヨネーズを交互に重ね合わせたものだって、ミルフィーユだと思い込んで咀嚼すれば、そのうち甘く感じる。
竈門神社聖地巡礼を楽しむための基礎知識
そのため”鬼滅熱烈信者”は「竈門神社は鬼滅の刃の聖地なんです」と言われた途端に集中力が向上し、竈門神社周辺に「鬼の気配」を濃厚に感じてしまう。いわば、全集中の呼吸状態だ。
その状態で改めて聖地「竈門神社」に参り、その裏にそびえる霊山「宝満山」に登ると、実に多くの発見がある。
竈門神社駐車場で鬼の気配を感じると思ったら昭和生まれには懐かしの「鬼ハンドル」だった。さすが聖地
だが、聖地の旅を骨の髄まで味わうためには、それ相応の知識が必要だ。ここからは「竈門神社聖地巡礼を楽しむための基礎知識」について、3つほど説明していこう。
ちなみにここから先の文章はあまり面白くない。だが、鱗滝さんのところでの辛い修行を耐えることで、炭治郎も水の呼吸をマスターした。挫けそうになった時は、炭治郎の事を思い出して欲しい。そうすれば、きっと面白くない文章でもありがたく読み進められるはずだ。
【基礎知識 壱】そもそも鬼とは?
そもそも鬼とはどういう存在なのであろうか? まずは「鬼」について紐解いていこう。
「オニ」という存在は、かつて「モノ」と呼ばれており、人知を超えた力を持つ善悪の概念を超越した存在であった。それが時代が経過するにつれ、見ることのできない、超自然的存在という意味を込め「隠(オン)」と呼ばれるようになり、それが転じて「オニ」という概念が生まれたようだ。また「鬼」という漢字は古代中国では死霊を表すものであった。
すなわち「鬼」は、人知を超え、平穏な生活を脅かす恐ろしいものと考えられてきた。そのため、鬼伝承のルーツを探ると、そこには「疫病」や「災害」といったもののほか、「異民族」や「時の政権を脅かす集団」などの存在も見え隠れする。
また、「鬼」といえば、頭に生えた角、黄色と黒の縞模様の腰巻きといったお決まりのパターンが存在するが、それにもきちんと理由がある。
江戸時代中期の浮世絵師「富川房信」による「山入桃太郎」より。額の角と寅の腰巻きは鬼のトレードマークだ。国立国会図書館所蔵
古来より、中国や日本では北東を「鬼門」と称し「悪しきもの」が攻め入ってくる方向として忌み嫌っていた。一説には、北東からの異民族の襲来がその根底にあるともいう。そして、安倍晴明が駆使したことでも知られる「陰陽道」でも用いられていた方角の表現として、鬼門である北東は十二支のうち「丑(うし)」と「寅(とら)」のとなるのだ。
すなわち、北東から襲いくる「悪しきもの」としての鬼という概念に、「丑」と「寅」の特徴が合わさり、丑の角と寅模様の腰巻きを持つ鬼の姿が出来上がったのである。
十二支と方角の関係。ちなみに、寅の逆方向には申(さる)がいる。このことから、鬼門封じにはしばしば申のモチーフが配された
そのため、朝廷や幕府は重要な拠点の北東を霊的な力で守ろうとしてきた。実際に京都御所の北東には鬼門封じとして「比叡山延暦寺」が配され、そして京都御所の塀の北東側は、鬼を避けるために「角」が取られている。また江戸城の鬼門方向には「東叡山寛永寺」や「日光東照宮」が配置され、江戸幕府を鬼から守っていた。
京都御所鬼門方向の塀。鬼の象徴「角(つの=かど)」を取るというまじないで、悪鬼が御所に侵入することを防いでいる
【基礎知識 弐】太宰府の鬼門、竈門神社
そして「鬼門封じ」の配置は、「太宰府」にも取り入れられていた。そもそも「太宰府」といえば、菅原道真公を祀った「太宰府天満宮」で有名であるが、天満宮創建以前からこの地には九州を治める鎮西府として「大宰府政庁」が置かれていた。その規模は、国内では平城京や平安京に次ぐ大きさだったという。
大宰府政庁跡。今は憩いの場として開放されている。2015年には「ももクロ男祭り2015in太宰府」が開催された
その重要な「大宰府政庁」を鬼から守るため、鬼門(北東)に天武天皇の時代に創建された神社こそが「竈門神社 上宮」なのである。竈門神社とは、太宰府を鬼から守るために置かれた神社なのだ。
宝満山山頂にある竈門神社上宮
【基礎知識 参】竈門の名の由来
また、主人公の苗字でもある「竈門」だが、この名前にも由来がある。竈門神社の背後にそびえる「宝満山」はもともと「竈門山(かまどやま)」と呼ばれていた。山名の由来は
由来 壱
山から雲霧が立ち上り、カマドで煮炊きをしているように見えることから
由来 弐
中国より道教の神「竈神」が太宰府に伝わり、その神の名から
由来 参
宝満山9合目に「竈門岩」という奇岩があることから
などが伝わっている。
どの説が正しいのか今となっては分からないが、竈門岩の伝説は、鎌倉期の書物「竈門山宝満大菩薩記」にも”神話の昔、三韓征伐に赴いた神功皇后が息子であり戦いの神でもある応神天皇(八幡神)を産む際、この3つの岩の上に釜が置かれ、産湯が沸かされた”と記されている。場所は、宝満山山頂の少し下、9合目付近。高さ約2mほどの3つの岩だ。
竈門岩。「仙竈」の文字はかつて博多に住んだ著名な禅僧、仙厓和尚の揮毫による
「竈門岩」「上宮」「中宮跡」「下宮」を巡る聖地巡礼登山
ちなみに、今現在「鬼滅の刃」の聖地として、大勢のファンが詰めかけている竈門神社は下宮であり、「竈門岩」や「竈門神社上宮」は宝満山の登山道を進んだ先にある。山中には、炭治郎と同じ市松模様の衣装を着た山伏が、かつて修行を行った「中宮跡」なども残っている。
中宮跡。明治の廃仏毀釈運動により廃墟と化した。かつてはここに鐘楼や講堂があったという
やはり「聖地巡礼」というからには生半可な気持ちではならぬのである。現地を訪ね、キャラの気持ちと一体化する悟りを得るためには、とことんまで突き詰めなければならない。となれば、竈門神社下宮参拝と合わせた宝満山登山は避けては通れぬ鬼滅ファンの「最終選抜」とも言える関門ということになる。
「最終選抜!?」宝満山登山
ということで、ここからは宝満山登山について述べていきたい。
まず、最終選抜挑戦者の皆さんに安心して欲しいのは宝満山がそれほど険しい山ではないということだ。標高は829mで、福岡県で最も登山者が多い山だ。小学生高学年程度の体力があれば、竈門神社から頂上(上宮)を目指す正面登山道は踏破できるだろう。
ただし、決して夜に登ってはいけない。特に登山初心者であれば、明るくなってから出発して、暗くなる前に下山する計画を立てて欲しい。往復+山頂で1時間程度休憩を取ったとしても、5時間と少しの道である。
筑紫野市阿志岐(あしき)方面から望む宝満山
暗くなると鬼が活動する可能性もあるが、そもそも危ない。また、全く登山経験がない場合は、単独での登山は避けるべきである。育手的な知人や保護者と一緒に登った方が良いだろう。
宝満山登山のモデルコース
ここからは、宝満山で最もポピュラーな「正面登山道」でのルートを紹介していこう。時間配分は、筆者が歩いた時間を元に記入している。各々の体力にもよるため、あくまで参考程度に考えて欲しい。
9:00 竈門神社出発
門前に有料駐車場がある。バスで西鉄太宰府駅からもアクセス可能。ここから先は山頂までトイレがないので注意が必要だ。膀胱と相談しよう。境内を通り、絵馬の横から登山口に向かう。
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9:10 登山口到着
蕎麦屋の向かいに鳥居があるので、ここから登山道に入る。藤の花はないし、白髪・黒髪もいないが、勇気を出して進もう。
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9:20 林道に合流。しばらく林道を進む
登山口から10分ほど山道を歩くと、アスファルトの林道と合流する。突如目の前に現れた下界へのワインディングロード。駆け下りたい欲求にかられても、ぐっと我慢して、林道を上に向かう。
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9:30 林道と登山道の分岐に至る
しばらく進むと、林道から分岐した登山道が見えてくるので、登山道に進もう。
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9:50 林道終点・鉄塔下到着
林道の終点と合流する。アスファルトとの別れを惜しみ、ここで一休みすると良いだろう。「ここまで車で来れるんだったら、なんで歩かせたんだよ!」というのは言いっこなしだ。
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10:20 水場到着
林道終点から鳥居をくぐり、しばらく山道を進むと水場に到着。聖水ではないので、ゾンビ系モンスターでも安心だ。少し休憩すると良いだろう。
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10:55 閼伽の井到着
殺生禁断の碑、心臓破りの百段ガンギ(階段)を過ぎると、神仏に供える水が湧き出る「閼伽の井」に至る。ナマクラな身体にとって、百段ガンギは本当に「心臓破り」になりかねない。休憩しながら進もう。
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11:15 中宮跡に到着
閼伽の井から石段を登ると、修験者が修行の拠点とした竈門神社中宮跡にたどり着く。明治の廃仏毀釈運動によって破壊されているが、その先には梵字が刻まれた「梵字岩」がある。萩野真先生の不朽の名作「孔雀王」ファンならば、垂涎であろう。
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11:45 竈門岩に到着
中宮跡からしばらく登ると「正面登山道」と「女道」の分岐が見えてくる。ここは「正面登山道」を選ぶ。しばらく歩くと左手側に「至竈門岩 二十米」と書かれた小さな標識がある。見失いがちなので注意しよう。
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11:55 竈門神社上宮(頂上)に到着
竈門岩からは10分弱で上宮(頂上)に到着する。山頂からの眺望は抜群。周囲に鬼がいない事を確認して、ゆっくりと昼食を取ろう。約1時間ほど休憩する
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12:55 竈門神社上宮(頂上)を出発
山頂を出発。先ほど来たルートとは別のルート「女道」を経由して帰る。こちらのルートをとると、山頂からの下山ルートがいきなり鎖場になる。注意して、Be Coolに乗り切ろう。不安な場合は登った道を通って下山しても良い。
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13:05 キャンプセンター到着
キャンプセンター到着。バイオトイレがある。もちろん、ここまでテントを担いでくれば、キャンプも可能だ
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13:30 中宮跡到着
キャンプセンターを出発し、しばらく進むと「愛敬の岩」がある。目を瞑って数m先の岩に辿り着けば恋愛が叶うと言われているので、思う存分キュンキュンしてほしい。さらに進むと、登りでも通った「中宮跡」に合流する。「女道」というネーミングだからと言って、決して楽なわけではないので、気を緩めずに歩こう。
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14:40 竈門神社下宮到着
中宮跡からの下山ルートは登りのルートと同じなので詳細は割愛するが、再び、人界に戻ってこれた喜びは格段だ。最後に竈門神社下宮に参拝し「最終選抜」からの生還を感謝すると良いだろう。
正面登山道のMAP
より詳細なルート情報はこちら
下山後は、鋼鐵塚蛍に思いを馳せる
どうだろう。最終選抜IN宝満山は満喫できただろうか? 「心が洗れるようだった」「呼吸をマスターできた気がする」「もう、登山なんか二度とごめんだ」など、様々な意見が聞こえてきそうだが、愛するキャラを脳内に宿し、自然の中を歩くことは実に爽快である。
「聖地巡礼」を心から満喫する手段として、登山を候補のひとつに入れていただければ、望外の喜びだ。
さて、最後に筆者のお気に入りキャラ、鋼鐵塚蛍(はがねづかほたる)について、思いを巡らせてこの原稿を終えたいと思う。「鬼殺隊じゃないのかよ!」というツッコミが入るかと思うが、そこは聞こえないふりをして、話を進めたい。
この記事の中程「竈門の名の由来」の文章において”中国より道教の神「竈神」が太宰府に伝わり、その神の名から、この山に竈門の名がついたという説もある”と述べたが、鋼鐵塚が被っている面「ひょっとこ」は「火男」とも書き、岩手県や宮城県の古い家では、竈の神として祀る風習があるという。また、一説によると、ひょっとこの尖った口は火力を調整する道具である「吹子」を表しているとされ、製鉄や鍛冶に関係があるとも言われているのだ。
おなじみのひょっとこ面。「ひょうとく」と称する地域もある
そして、竈門神社の付近にはかつて、鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した刀鍛冶の一派「金剛兵衛(こんごうひょうえ)」の工房があったとされ、その石碑が竈門神社下宮境内に立てられている。金剛兵衛は宝満山を拠点とする山伏の刀鍛冶であった。
鳥居をくぐって、竈門神社下宮の拝殿に至る間に「刀工金剛兵衛源盛高発祥の地」と書かれた碑がある。金剛とは、仏教用語で、最も硬い金属を表す
竈門という名を冠する神社と山、そしてその竈の神とされるひょっとこ、さらには竈門神社下宮の境内に祀られるいにしえの刀鍛冶。決してそれらの存在は直線状に並ぶものではない。だが「鬼滅」というフィルターを通した時、心の中には無限に広がる妄想の世界が花開くのである。
話題の場所に赴き、「聖地」として取り上げられているスポットだけを巡礼するのも良いだろう。だが、自分なりに知識を収集し、その知識と聖地巡礼を掛け合わせることで、物語は多様な広がりを見せる。
不要不急の外出を控えなければならない昨今、外に出ることは難しいかもしれない。ただ、想像は無限大だ。ぜひ、この騒ぎがひと段落した時に備え、予備知識を収集し、大いなる妄想に遊んでみてほしい。
※山行の際には、公的機関からの情報発信に則した外出の自粛や見直し・交通機関の選択を心がけましょう。
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YAMAP STAFF
Toba Atsushi
YAMAP MAGAZINE 編集部メンバー。文系登山をこよなく愛しており、山の話をしていてもついつい歴史の話や神話の話にトリップしがち。登山・歴史神話・キャンプが主な守備範囲。
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