中島健郎 × 春山慶彦 対談 山と写真の奥深き世界

8000m全14座登頂者である竹内洋岳氏の記録映像や「イッテQ!登山部」の撮影を担当しながら個人の山行も行い、2018年には平出和也氏と共に登山界のアカデミー賞と名高い「ピオレドール賞」を受賞されるなど、次世代の登山家・山岳カメラマンとして各方面から注目を集める中島健郎さん。前編では、山と一眼レフの魅力、撮影が楽しくなるテクニックを教えていただきました。

後編となる今回は、株式会社ヤマップの代表でありながら「じつは今でもプロの写真家になる夢は捨ててはいない」と話す春山慶彦との対談を行うことに。山と写真を愛する二人に、その奥深き世界について大いに語っていただきました。

山とカメラと私の出会い

—西穂高岳での撮影はいかがでしたか?

中島:普段の仕事では映像でも写真でも「登る人」を撮ることが多いので、決まった対象物がなく、景色とじっくり向き合いながら撮るのは久しぶりで新鮮でした。逆にいうと、この前は人がいなかったからちょっと困りましたね(笑)。家族と山へ行くときも、登ってるときの必死そうなところを撮ったりします。

▲西穂高岳周辺にて、中島さんがPENTAX K-70を使って撮影した写真

春山:人の方に興味がいくんですね(笑)。街中でも一生懸命な人を見かけたら写欲が湧いたりしますか?

中島:湧くこともあるかもしれません。けど、さすがにそれ撮っちゃったら怒られそうですからね(笑)。春山さんは街でもよくカメラを持って歩かれるんですか?

春山:昔はカメラを片手に街をブラブラしていました。写真家を志したからには森山大道さんみたく「都市の狩人」としてスナップ写真をやってみないと! と思って。でも街中のスナップ写真は、自分の体質や性格には合わなかったようで……。「これ、変態の行為だな」と思ってやめました(笑)。

左から:春山慶彦、中島健郎

中島:あはは。確かに変な目で見られるかもしれないですね。写真を始められたのは、何かきっかけがあるのですか?

春山:星野道夫さんの影響が大きいですね。道夫さんのように、人々の暮らしを写真におさめ、写真を通じて土地の風土や物語を浮かび上がらせることができたらと思っていて。

中島:なるほど。

春山:でもあるとき気づいたんです。街でスナップ写真を撮っていると「異常性」とか「狂気」を感じさせる被写体に惹かれるんですが、都市に宿る狂気って人間によって造られたものがほとんどで、自然の中の狂気に比べたらたかが知れているな、と。自然がもつ狂気は厳しさと美しさを併せもっているので、そっちの方が魅力的に思えたというか。

中島さんはご両親がどちらも芸術関係のお仕事をされていたそうですね。写真や映像の道に進んだのは、そういった家庭環境も関係しているのでしょうか。

中島:父は版画の刷り師として、母は絵画教室で働いていました。二人は専門学校で知り合ったそうです。山で写真を撮り始めたきっかけは父の影響が強いので、家庭環境も多少は影響していると思います。幼い頃は「デッサンの日」があったりしました。今は絵なんてそうそう描かないですけど(笑)。

春山:写真の切り取り方や構図には、その人の経験や美意識が表れますよね。版画や絵画、写真が身近にあったという家庭環境は、中島さんに大きな影響を与えたのでしょうね。独立するとなったときは、ご家族の反対はありましたか? 僕が昔「写真家を目指したい!」と言ったとき、両親から相当な反発を受けました(笑)。

中島:親には相談はしてなかったです。妻は「やれるだけやってみたら」と応援してくれました。でも、今も写真一本でやっているという感覚はなくて。アシスタントや荷物運びなど、山をフィールドにした仕事を色々とやらせてもらっている感じです。夏場とか、純粋に荷物を運んだりする仕事もありますよ。テレビ番組でもカメラは回してるんですが、それより荷物を背負っている割合が多いんじゃないかってときもあります(笑)。だから写真だけで食っていくと決めたわけでもなく、周りの環境に助けられながらあれこれやらせていただいてます。

登る行為、撮る行為、その両立について

春山:中島さんは登るという行為をしながら、同時に撮るという表現行為もされています。この二つの行為をレベルの高い形で両立させているのが、中島さんの希少性だと思うんです。ご自身の中で「登る行為」と「撮る行為」に関して、どのように棲み分けされているのでしょうか?

中島:うーん、あまり棲み分けては考えていないですね。写真や映像も体力や気力に余裕がある範囲でしか撮れてないかもしれません。行く山によっても違いますが、疲れているときは撮ってないですし。

春山:かつては冒険・探検という行為自体に一定の社会的意義があったので、冒険・探検そのものが一つの表現行為として成立していたように思います。けれど、地理的余白がほぼなくなった現代では、ヒマラヤや未踏峰の山に登ったという行為だけでは社会一般の共感がなかなか得られない。登っている山がどれだけ厳しく美しさに満ちているのかを、臨場感ある映像や写真あるいは言葉で表現して初めて、一定の社会的認知と共感が得られる。つまり、行為者が冒険・探検だけでなく、表現までしなければいけなくなった。

中島:確かに登る行為それ自体に、撮るという表現行為は純粋には必要ないですよね。でもあえてそれをやっているのは、自分が見ている景色を人に伝えたい、共感してもらいたいと想いがあるから。やりがいがあるからやっている部分はあります。

春山:中島さんの他のインタビュー記事を読んでいても、「共感」という言葉をたびたび使われてますよね。

中島:そうですね。高所の山は誰しもが行けるところではないですし、行って自己満足で終わるだけよりもその場の雰囲気だったり、景色だったり、そういうものを少しでも伝えられたらなと思っています。そのための道具として、写真や映像を残している感じですね。やっぱり毎回違う景色に出会うし、それを一人で見て満足するよりは、他の人にも見てもらって一緒に感動してもらえたら嬉しいです。

山に身を置くだけで心が弾むというか。僕にとってはそれで充分なんです。(中島)

—中島さんはインタビューの中で、山に登る理由として「達成感」とか「生きる」という言葉を挙げています。美しさの中にある厳しさに惹かれる部分があるのでしょうか?

中島:そういう部分もありますが、山に身を置くだけで心が弾むというか、僕にとってはそれで充分なんです。でも、そう思えるのは普段の生活が都会にあるからでしょうね。山に入ると死が身近だという側面もあるんですけど、山が生活の拠点だったらきっと山に身を置くだけで充分だとは感じない。都市が生活の拠点だから、次はどこの山に行こうかなと考えたり……。山の準備をするところから楽しいんですよね。

春山:今は年間でどれくらいの期間、山へ行かれてるんですか?

中島:海外へ遠征することもあるので、家にいない期間は半年以上ですかね。でも、実際に登山をしている時間はそんなにないんじゃないかな。

春山:半年! 結構長いですね。

中島:登山活動している時間はもっと少ないですよ。40日の遠征でも、実際に登山をしているのは二週間だったりします。そこまでのアプローチやベースキャンプまでの歩きも含めて登山は登山なんですけど。そういった場所に身を置くだけで、僕はけっこう楽しんでいます。この前も、「街中にいると覇気がないね」「何喋ってるかわからない」と言われました(笑)。自分には山がちょうどいい環境なのかもしれません。

春山:感覚として山が合うんですね。

春山:登山に限らず、現代人は意味を求める傾向が強いと感じています。何で山に登るんだろう、何のために生きてるんだろうって。山に行くこと自体ひとつの経験であって、経験の前に「意味」があるわけではないんですよね、本来は。山を経験することで、自分の住んでいる世界を俯瞰することができ、この地球で人間として生きることの奇跡を感じることができる。経験を積み重ねていった後に、その人なりの意味や価値観が自ずとできてくるものなのに、今は経験と意味の順番が逆転してしまっている気がします。意味を最初から求めていたら、わざわざ山へ行こうなんて思考にならないでしょうし。

中島:確かに何もやらずに答えを出してしまって、行動を起こさないのはもったいないですよね。行動しなきゃわからないこともありますし。

調べれば情報が簡単に手に入る便利な環境のせいもあるかもしれませんね。例えば天気予報の精度が上がった分、多くの人がいい天気のときしか登ってなくて……。もちろん無謀な計画や行動は避けるべきですが、天気予報がよくなかったとしても多少の雨なら行ってみるくらいの方が、新しい発見もあって面白いんじゃないかなと。天気が悪い方が楽しいという人も中にはいますけど、全体としてはあまりそういうことをしなくなってますよね。

頭で考えて動かないよりも、まずはやってみる。その姿勢が人生をより面白く、意味のあるものにしてくれるのかもしれませんね。

写真は体験や風景への共感を呼び起こしてくれる。(春山)

春山:経験を重視するという意味で、写真は素晴らしいメディアだと思います。アナログであってもデジタルであっても、シャッターを押すという行為は、その場に自分が行かないと、つまり、経験をしないと成立しない表現行為ですから。その意味で、写真は行為に寄り添うメディアと言ってもいい。

写真は本人がその場にいて、経験している世界の一端を写した画です。もちろん、撮ることに恣意性はあるので、写真が真実を写しているかどうかはわかりませんが、少なくとも経験の延長に写真はある。

写真には人間の視覚に訴える力があるし、体験や風景への共感を呼び起こす力がある。力があるからこそ、スマホがカメラ的にも使われ、写真と映像がこれだけ爆発的に世にあふれているんじゃないかなと。

中島:本当にそうですね。写真って、言ってみれば「感動した」とか「いい風景だ」とか、撮影者の写欲が動いたときに撮られるものですもんね。そういう意味では、経験に寄り添う正直なメディアかもしれませんね。

春山:行為者がカメラを持ってその世界の一端を切り取り、写真として表現する。どれだけ映像技術が発展しようと衛星画像があふれようと、人間がカメラを手に見ている世界を表現しようとする行為は残るんじゃないかなと思います。

中島:その場に足を運ばない限り出会えない人や景色がありますからね。春山さんは普段、山へはお一人で? カメラはいつも持って行かれるんですか?

春山:一人で行くことの方が多いですね。家族や友人と行くこともありますけど、一人の方が自然とじっくり対峙できるというか、無心になれるので。

カメラは持って行きますが、軽さを重視してコンパクトカメラの使用が増えてきています。最近は写真だけじゃなく、タイムラプスでも撮影しています。

中島:タイムラプス、ですか!

春山:ええ。富士山を40年以上撮り続けている写真家・大山行男さんの映像を見て感銘を受けたというのもあるんですけど。山って動いてないって思うかもしれないけど、タイムラプスで見たら、山と山を取り巻く環境はめちゃくちゃ動いてるんですよね。

中島:動いている?

春山:タイムラプスのように定点で長時間撮影していると、天動説のように山が動いてるように見えるんですよ。山を中心に星や雲が動いているのがわかる。山があることで雲の流れも変わるし、山の影響で積乱雲ができ雷が発生する。タイムラプスの映像を見ていると、「山って生き物なんだ」ということが、よくわかります。

中島:なるほど。たしかに見ていて飽きないですよね、山って。まわりの雲の流れと一緒に山をじっと見ていると、まるで山が呼吸しているような感覚を覚えることがあります。静止画や写真でも充分美しいけれど、そういった動きはタイムラプスでしか見れないものですよね。肉眼ではなかなか気づけないですし。

春山:「山は生きてる、山は動いている」ってことをわかりやすく表現する手段がタイムラプスなんじゃないかなって。星空の撮影にはよく使われていますが、山を主役にしてタイムラプスを活用しても面白いんじゃないかと思います。

僕の生涯のテーマは巡礼なんです。(春山)

ーところで、お二人は撮った写真をプリントしたりしますか?

中島:僕はほとんどしないですね。仕事で締め切りがあるときは必死に写真を見ますけど、プライベートではなかなか。

春山:僕もです。撮るのと編集・プリントするのとでは、モチベーションが違いますよね。しっかり編集・プリントしたのは2010年にカミーノ・デ・サンティアーゴという巡礼路を1200キロを歩いたときの記録くらいです。帰国後、一ヶ月かけて編集・プリントしました。編集のモードになると、ご飯を食べるとかお風呂に入るとかの日常生活が気にならなくなるくらい集中するから、大変ですね。

中島:へえ、すごい。でもどうしてまた巡礼路を?

春山:写真家として表現したい僕の生涯のテーマは、巡礼なんです。巡礼は人間を象徴する行為だと思っていて。直立二足歩行で長距離を歩けるのも、祈ることができるのも人間だけですよね。特に、自分の命を超えて他者や大きな存在を想う行為である「祈り」は人間が人間であることの証だと思っていて。巡礼路を歩く人たちに、人間の大切なものが凝縮されている気がするんです。だから自分の生涯のテーマとして、巡礼路と巡礼者を撮りたい。巡礼を通して、人間とは何か、この地球がどういった星なのかを経験し表現したいんです。本当は帰国後すぐに四国遍路やカイラス巡礼に行きたいと思っていたんですが、YAMAPをはじめてしまったので……。今は、YAMAPが自分にとっての巡礼路だと思って日々歩んでいます(笑)。

中島:興味深いですね。巡礼の写真、ぜひ見てみたいです。

春山:死ぬまでに写真集として一冊の本に仕上げることができたら……。中島さんは、撮った写真をプリントして家に飾ったりはしますか? 僕はあまりしないんですが。

中島:ほぼしないですね。あ、でも一枚だけあります。パキスタンの遠征で行った「K6」という山の写真なんですけど。何かの記念日に妻がプレゼントしてくれたものが居間に飾ってありますね。

春山:素敵ですねえ。現像して飾ったり、贈ったり贈られたり……。そういった楽しみ方ができるのも写真の醍醐味ですね。

唯一家に飾ってあるという、中島さんが遠征先で撮影したK6の写真(写真提供:中島健郎)

あらためて考える、一眼レフの素晴らしさ

ー最近はスマホのカメラも高性能になってきています。一眼レフの良さはどこにあると思いますか?

中島:スマホの写真は、気軽に誰でも撮れる。だからこそ、良くも悪くもあまり考えなくてもパシャパシャ撮れてしまいます。一眼レフはその逆で、わざわざ持っていかないといけないものですよね。その分「せっかく持ってきたからにはちょっといいやつ撮らないと」という気分になる。そこがまず違うかなと思います。

春山:道具によって姿勢が変わる、ということですね。

中島:それに、ファインダーから覗く画は、スマホと全然違いますしね。スマホで見るのとは違った世界がファインダーに広がっている。

春山:そう思います。一眼レフの良さは、やっぱりファインダーで世界を切り取ることができる点ですよね。切り取る行為があることで、世界への向き合い方が変わりますから。

ーどういうことでしょうか?

春山:一眼レフを持っているとファインダーで世界を見るので、周りの景色をより意識するようになります。世界に対する感度が高くなると言えばいいのか……。ファインダーを覗いて世界を見ることで、見る行為そのものが鍛えられる。

欲を言えば、ミラーレスの電子ファインダーではなく光学ファインダーで見る方がいい。スマホではなく一眼レフの光学ファインダーを通して自然と向き合うと、肉眼では気づかなかった新たな発見がありますから。

中島:たしかに。光学ファインダーで覗いてシャッターを切ったときの感覚は、スマホや電子ファインダーとは違いますね。光学ファインダーの方がリアルとしっかり向き合っている感じがします。

ー今年プライベートで撮りに行ってみたい山はありますか?

中島:一度登ったけれどカメラを持っていけなかった場所に行きたいですね。例えばこの前行った八甲田山とか。スノーモンスターがすごかったんですよ。そのときはホワイトアウトしてて目の前にいきなりニョキニョキと現れる感じだったんです。視界のある日に写真を撮ったらどうなるのかなってワクワクしましたね。

春山:僕はやっぱりカイラス山ですね。いつ長期休暇をとろうかと思案しています(笑)。

■ profile

中島健郎(なかじま・けんろう)

1984年生まれ。奈良県高取町出身。
幼少の頃から自然に親しみ、関西学院大学在学中は山岳部に在籍。学生時代にネパールの未踏峰2座に登頂する。大学卒業後、トレッキングなどを手掛ける旅行会社に勤務。その傍ら、当時8000m14座登頂に挑戦中の竹内洋岳氏の記録映像を担当したことから本格的に山の撮影をはじめ、イッテQ!登山部にカメラマンとして参加。個人の山行を行いながら、高所登山をメインとした映像、スチル撮影も手掛けている。2017年には、平出和也氏と共にパキスタンのカラコルム山脈にあるシスパーレを未踏のルートから登頂。それが世に認められ、ピオレドール賞を受賞する。

春山慶彦(はるやま・よしひこ)

1980年生まれ、福岡県春日市出身。同志社大学卒業、アラスカ大学中退。ユーラシア旅行社『風の旅人』編集部に勤務後、2010年に福岡へ帰郷。2013年にITやスマートフォンを活用して、日本の自然・風土の豊かさを再発見する”仕組み”をつくりたいと登山アプリYAMAP(ヤマップ)をリリース。アプリは、2019年3月時点で120万DL。国内最大の登山・アウトドアプラットフォームとなっている。

■ もくじ

第1話(2月18日)
全天候型一眼レフ【PENTAX K-70】で捉える、雪山の景観美。中島健郎さんと西穂高岳を登る

第2話(3月15日)
中島健郎 × 春山慶彦 対談 山と写真の奥深き世界

ABOUTこの記事をかいた人

チュウ

YAMAPのPR担当@東京支社。登山歴はかれこれ10年ほど。ゆるゆる日帰り登山から縦走、トレラン、ロゲイニング、雪山など、季節を問わずアウトドアLIFEを楽しみつつ、最近は軽量化にもトライ。登山・アウトドアの世界をより多くの方々に楽しんでもらえるような情報発信をしていきたいです!